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2019.07.16 Tuesday

メモ



セの川



スの浜


2019.06.17 Monday

ヒント

 
古神道の本を読んでいたら
「陽極まる真夜中」というピースをいただいた。



ワニ、フカ、リュウ。。と記紀風土記等に記される。。


2019.05.20 Monday

メモ

 

恐れていた最悪のごどが起こってしまったあのどきよ。
おらは重々分がったのさ。
この世にはどうにも仕方がない、どうしようもねごどがあるんだ、
その前では、どんな努力も下手なあがきも一切通用しねってごどがわがった。
それがわがったらば、
手に入れるためだの、勝ち取るためだのにあくせくする生き方が、
まんで見当違いなごどに力ば入れでるように見えでしょうがねのす。
まぁ人間の無力を思い知らされたわげで、この世は絶望づ壁がある。
したども一回それを認めでしまえば、
これで案外楽でねがと、おらは思ったわげで、
そこに至るまでの身の処し方を考えればいいどいうごどになる。
あれがらおらはすっかど、別の人になってまった。
 あのどぎの前と後ではおらはもう全然違う。
おらは強くなったさ。
おらは人生上の大波をかっ食らったあどの人なのよ。
二波三波の波など少しもおっがなくねんだ。
ただ祈って待でばいいんだ。


(若竹千佐子 著「おらおらでひとりいぐも」より)


2019.05.08 Wednesday

「令 / れい」


文化交流の仕事の流れから日本文化について調べていたときに、
「目に見えない世界のほうがはるかに情報量が多い」ということを
お話しされていた方がおられて、今になっていたく納得しています。

たんに情報を一般的に言う「頭で覚える」こととは違い、
目に見えない世界ではすべてが直接体に入ってくる感覚があるので
覚えるというよりも経験に近い感覚であり、
また物質(肉体)の世界ではないので
情報量がどんなに多くとも疲れないし、決して忘れない。
古事記に記されている稗田阿礼が伝えたものは
本来そういったものではないかと感じています。
(因みに稗田阿礼というのは個人名ではなく代々受け継がれてきた役職の名称)
古事記は目に見える世界に残そうとして文書化してしまっているので
「体に直接入ってくるもの」の大部分が結局記されていません。
(古事記の序文にもちゃんとその旨書かれていますね)

令和の「令」は古くは「神(自然)からのお告げ」という意味だったそうで
その音からも大和ことばの当然として「霊」に通じます。

丹田ができていないのに霊感があるというのは
かなり大変なことだろうなと推察します。
古神道ではうるさいくらいに下丹田の充実を説いている。
大きく分けて書きますが、
下丹田の充実があり大地とのつながりがあってこそ
ようやく胸の丹田が開かれる。
胸の丹田が開かれることで霊感に通じる上丹田が開かれる。
この順序には重要な意味があります。

それがどういうわけか下丹田の充実がないのに霊感に通じてしまうのも
何かの因縁があるのでしょう。
下丹田の充実もないのに霊感に興味を持ちすぎるのも
自然の流れに逆らって自ら不自然で困難な道に飛び込むようなものです。

自然の摂理に伴ってベストな状態に整理されている段階が
いちどぐちゃぐちゃに乱されてしまったら
それを再び調えるのは本当に苦労と困難の連続なのではないかと推察します。

けれどどんな道でも向かう先は同じ。
どの道を歩いていてもすべての道は最終的に山の頂上につながっています。

サンティアゴの巡礼をしたとき、
巡礼者すべての目的地はサンティアゴ・デ・コンポステーラでした。
けれど巡礼者はさまざまでしたし、
目的地にたどり着く手段も、日数(あるいは年数)も、人によりさまざまでした。
すべての巡り合わせは、
本人の意思と関係なくひとりひとりその人のために用意されたものでした。

そういう世界が、よそごとではなく今日常の中にも確実にあります。



今日の海散歩。


2019.05.04 Saturday

鶴のくもにのるがごとし

 
去年、亀戸天神で授与されました天満宮歌占をひらいてみたら
この歌のページが出ました。


いく千代もかぎりしられぬまなづるの
よはひをくものうへにしるかな


うらのこゝろ、物ごとただせかせかしからず。
鶴のくもにあそぶこゝろに身をもたば、
いまさいわゐおほかるべし。

歌占の心、物事にただこせこせせず
鶴が雲に遊ぶ心のように身を振舞えば、
今の幸せが多くなるだろう。

菅原道真




聖書の中の気に入っている文言を思い出しました。


空のとりを見るがよい。
蒔くことも、刈ることもせず、
倉にとりいれることもしない。
それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていてくださる。

あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、
自分の寿命をわずかでも伸ばすことができようか。

野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。


新約聖書 マタイによる福音書 6,26-27よりイエスの言葉



2019.04.16 Tuesday

ビンの中の船

 



『ビンの中の船は沈まない

帆が風にゆらぐこともない』





何の台詞だったか。


2019.03.12 Tuesday

こころにうかぶままに

 




「櫻の園」テーマに添って 心に寄せる波 イメージスケッチより。

コノハナサクヤヒメ

コノハナサクヤヒメ

セオリツヒメ・・・



◆点滴堂企画展「櫻の園・第二幕」
 3月20日(水)-31日(日) 月曜・火曜定休
 12:30-21:00
 会場 点滴堂 ギャラリースペース
     東京都武蔵野市 中町 1−10−3 2階
     電話  090-6796-5281
 アクセス 三鷹駅北口徒歩5分 


2019.01.10 Thursday

誰かな

 




アナスタシア?


2019.01.08 Tuesday

初夢

 
初夢は多本立てですでにもうみていたのですが、
今朝の夢はなんとも印象的すぎました。
やはり多本立てで、過去から未来へ一気に駆け抜けた感じでした。

その中でも非常に徳の高い方と再会し
示唆に富んだお言葉を頂く夢の1本が非常に印象的で、
今の自分の根源に繋がる力が
そのまま今にも力と成って顕れ、
そして未来につながってゆくことになる、という確信を得ました。

目が覚めても今日はなんだか一日中ふわりふわりと
あちらの世界に行って居るような感覚があって、
今朝の夢で相当心身のエネルギーを消耗したみたいです。

夢と現実の区別なんてない、と断言した友人がいましたが
本当にそうだと思います。

年明けから心に浮かんでいたイメージと
今朝見たイメージがシンクロしています。

この夢を記憶に刻まねばという心持になり、
珍しくスケッチをとりました。(写真はその一部より)





2018.12.29 Saturday

時と界の話

 
時間という概念は人が作り出したもので、
本来時間による区切りと言うものはこの世に存在しないのではないか、
と気づいたのは今からもう何十年も前のこと。



小学5年生のとき、初めて歴史の授業が始まった。
当時、大河ドラマなど見ている同級生たちは歴史上の人物が授業に出てくることに
すくなからず興奮していたように思う。

一方、私は、大河ドラマなどうちは見ない家庭だったし、
もっと根本的な問題として歴史という概念が全く理解できなかった。

つまり、今自分が生きている時以外に時がある、という概念について
何の説明もなく、いきなり「歴史」という授業が始まっても、
何の事やら全く理解ができなかったのです。



人はいつからどうやって、
今の自分からさかのぼって人の脈々とした歴史がある、
ということを理解するのだろう?

せいぜい自分が生きてきた今に会うことができる曾御祖母さんくらいまでしか
小学生の私は理解ができなかった。



歴史という時の概念が根本的に抜け落ちていた私は、
当然歴史の授業の意味がまったく解らず、
また、
それまでの国語や算数のように思考して頭を使うのではなく、
ただ書かれた数字(年号)を何も思考せずにそのまま記入するだけで
テストの点数が採れる、ということも衝撃でした。

『そんなテストに何の意味があるの?
本のとおりにただ機械的に覚えたことをそのまま書いても何の意味もないのに』という
思いがどうしてもぬぐえず、納得できませんでした。
そこには何の思考も創造もなかったから。



いまでもどこかしら私の中では「今」しか存在しないように感じられて仕方がない。

さらに現代になって、
この世のすでに在る真理に比べたら遥かにその解明が遅れている物理の世界でも、
時空の概念が徐々に明らかになり、
「今」以外にも複数の「今」の時空が存在することもわかり始めてきた。
既存の「今」という概念が、最先端の研究では揺らぎ始めているかのようだ。

「今」も、
自分よりさかのぼっていく「過去」というものも、
パラレルに複数存在するかもしれない、と。



複数の階層となっている「界」。
「界」の概念ではもはやこれといった過去は存在せず、
「今」しかないのではないか。

そういった概念がじっさい加わり始めると、
「時」という概念も当然いままでどうりでは無理が出てくる。

ある意味、感性の鋭い子供時代に既存の歴史と言う概念を不自然に感じていたことは
ここにきて正解だったのだとも思える。



とくにここ最近では界の層を日常世界にも感じる。

界が異なれば、真の言葉は通じない。
ただ音声として伝わるだけで、その真意は通じない。

界が異なるから通じないのであって、
界の異なる相手を変えようとしても自然の摂理としてそれは無理なこと。
相手を変えるのではなく、自分がその界から視線をはずし、
自分が生きやすい界へ移行すればよいこと。
気づけば界を移行することはできるのだから。

複数の「今」。

逆に同じ界に居るものどうしなら、
時間をかけるまでもなく瞬時に互いの的確な役割が満たされ
言葉などなくても真意が滞りなく通じるだろう。


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