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2014.10.30 Thursday

エリザベート

 
ちょっと前の話になりますが、
ひさびさの東京宝塚劇場で観てきました「エリザベート」。
今回の再演はおもしろかった!!
入手困難なチケットをとってくれた友人に感謝です。

「エリザベート」は、
ウィーンに実在した美貌の王妃エリザベートの一生を描いたミュージカルです。
私が初めて観た宝塚の演目がこの「エリザベート」の初演でした。
調べてみたら、1996年初演の様です。

これを観るまで正直、宝塚をなめていました。。
というか良く知らなかった。
イメージ先行による偏見といいますか。。はずかしいことです。
恐らくそもそも舞台好きならこの劇団の底力を理解し楽しめるのではないでしょうか。
劇団員は十代の頃からレビューを中心としたエンターティナーとして
よく訓練されており、このような劇団が日本に存在すること自体
奇跡に近い事かもしれないと思うのです。
宝塚は今年で創立100年を迎えるそうですが、よくぞ!という感じです。


ともかく、私はこの初演の「エリザベート」にやられました。
作品そのものがエンターテイメントとして非常に優れている。
まず作品にほれこみました。

当時ネットなどによる情報網もほとんどなく、
演劇雑誌をしらべあげて、この作品は、
ウィーンで上演中のオリジナルミュージカルだという事が分かりました、
それを宝塚では宝塚にふさわしい演出に変えて上演していたのでした。

そうなりますと、ウィーンのオリジナルが気になります。
早速翌年1997年の年明けにウィーンへ飛びました。
当時オリジナルキャストでエリザベート役を演じていたマヤさんが
降板されるとの事で、「エリザベート」の上演自体、これがもう最後だと
言われていました。
映画と違って舞台は生ものですから、これを逃すと
もう一生「エリザベート」のオリジナル公演は観られなくなります。
そういう訳でウィーンへ飛び立った演劇馬鹿がひとり居た訳なのでした。。
(でも結局「エリザベート」はウィーンでも再演を繰り返しており、
マヤさんも降板することなく(トリプルキャストだったりしますが)
現在に至っている様です。)

1997年、ウィーンで念願かなってオリジナルキャストでの「エリザベート」、
結局3回も観ることができました。
チケットは入手困難で、現地ウィーンのボックスオフィスでは、
当日券もなく翌日も翌々日も完売との事でしたが、
この為に1週間の猶予を持ってウィーンに滞在していたおかげで、
なんとか私の帰国間際ぎりぎりの公演を3回、観る事が出来たのでした。

そうして観たウィーンのオリジナル公演の「エリザベート」でしたが、
私の感想は、この「エリザベート」は宝塚版の方が数段優れている、というものでした。

宝塚版はなにより演出が良い。
作品の内容に合った無理のない自然な演出がなされていたのは、
ウィーンのオリジナル版ではなく、宝塚版の方だと思いました。
(そしてまた、宝塚に演出の大胆な変更をまかせたウィーン側の演出家やスタッフの
太っ腹ぶりもすてきだなあ、と思ったのでした。)
後にウィーンでの公演そのまま来日公演が、大阪で実現して居りますので
ご覧になった方はご存知かと思いますが、ウィーン版は演出が気張りすぎてるんです。
観ていてその気張りが疲れてしまう。物語そのものに集中して入り込めない。
それから主演のマヤさんのキャラクターが
あまりに強すぎるのも気になりました。。(これは好みかもしれませんが)

そんな訳で前置きが長くなりましたが、
(ちなみに東宝版というのも観ていますが、
長くなるのでその感想などはここでは割愛させてもらいます)
宝塚版の「エリザベート」が改めて好きな私なのですが、
やはり初演が好き。それからのちの再演された宙組での上演も好きでした。
どちらの公演でも、エリザベート役は花總まりさんが演じていて、
彼女の、硬質で冷たい、それでいて必死さのある演技が役にぴったりと合っていて、
自らの心の内に落ち込み、周りに壁を作り、
どんどん孤独になって行くエリザベートにひきこまれました。
幼い頃から快活で、自由を求めていたのに、
王室の中で生き方を決められ、人としての尊厳を傷つけられて、
ああ、この人が「死」に惹かれるのがわかる気がする。
戻る道もなく、自ら孤独の中に入って行ってしまう業のようなものが感じられる。。
観ていて自然にそう感じられました。

実在のエリザベート皇后も生前は死にあこがれ、
死に対する恋文のような詩を幾つも書き残している様です。
そこからこのミュージカルの主要な役、トート(=死)という幻影が生まれたのでしょう。

エリザベートと死(役名はトートという黄泉の帝王/宝塚では男役が演じる)は、
同じ質のものを持っている。
だからこそ受け入れ合い、そして反発し合う。
劇中の「愛と死のロンド」という曲はこの演目の核ではないかと思うのですが、
なぜかウィーン版では歌われて居らず、宝塚版の為に書き下ろされたものらしいです。

**

そして先日観て来た「エリザベート」の再演。
いままで何度も再演を繰り返している宝塚の人気演目ではありますが、
私は1998年上演の宙組公演以来、劇場でこの演目を観るのは久しぶりでした。
(なぜならスペインへ行ってしまったのを機に観られなくなった訳で)

やはり演じる役者に寄って同じ演目でもかなり異なる風を感じるものですが、
今回の風はとても良い風が吹いていたように感じます。
トートがなんだか爽やかで若々しいのが新鮮で特に印象に残りました。
死が常に笑みを浮かべていて(お芝居として)なんだかわくわくしました。


それから晩年のエリザベートが、
王宮に戻らず旅を続け、
病院への慰問を繰り返す場面、印象的でした。
エリザベートが慰問したある病院で、
精神病の女性が、
『私がエリザベートよ。なぜひざまづかないの?!』と歌います。
そういわれたエリザベートは『よくみて、私が皇后エリザベート。』と返します。
精神病の女性は『この人嘘をついてる!おやめなさい!』とあばれだすので、
病院の職員に取り押さえられ拘束されます。
その姿を見てエリザベートは歌います。
『もし替われるのなら
替わってもいいのよ。
わたしの孤独に耐えられるなら。。。
ああ、あなたの魂は自由だわ。
そうよ自由。
ああ、私の魂は旅を続けても
束縛されたまま。

あなたの方が、、、自由。』

そうしてエリザベートはその精神病の女性のもっているぼろぼろの扇と
自分の扇を取り替えるのです。。
が、今回の演出ではこの取り替える場面がなくなっていました。
よりいっそうエリザベートの救いがなくなってしまったような、、
今までの演出を観ていたからこそ、そう感じてしまったのですが。。

こんな風にすこしずつですが、
他にも以前観たものと演出が変えられている場面がいくつかあり
より深く感慨深くなっていました。(再演ならではの醍醐味ですね)

いちど宝塚を観てみたい、
初めて宝塚を観る、というかたには
この「エリザベート」をぜひお進めしたいですね。自分の経験からも^^
(まちがってもどうぞ「ベルばら」など観ませんように、、
演劇として演出が最悪ですから。
・・・まぁ、だからこそ役者の底力が見られるとも言えますが。。。。。)

ともあれともあれ、
今回の「エリザベート」大変たのしませてもらいました!






2014.09.29 Monday

♪ありのままの

 
世を席巻したディズニーアニメ&主題歌
ありの〜ままの〜♪
私も映画「アナと雪の女王」は映画館で楽しんでみました。
でも話題のこの歌のシーンは、とてもつらくて苦しかった。
最も深い孤独の中で、自分を愛する者も慕う者も全て切り捨て
疑似自由になるという歌だから。
もちろん物語はそれが解決ではなくて
まことの結末がちゃんとあり、そこがまた心に響く物語でした。

でもでもやっぱりわたしにとっての
ありのままの、、、といったら
舞台ミュージカル「ラ・カージュ・オ・フォール」のザザが歌う
この歌に尽きます。

ーーーーーーーーーーーーー

ありのままの私の姿を見て
この世界に一人だけ
それが私

けなされても拍手を浴びても関係ない
誰のものでもない
誇り高く生きるだけ
そうよ
私は私!

ありのままに
嘘をつかず生きてきた
自分の太鼓叩いて進む
うるさきゃ逃げて

やめてよ!お情やお世辞なんか
自分の世界好きなように生きる
羽飾り
ダイヤ スパンコール
そうよ
私は私!

ありのままさ
言い訳はするものか
胸をはって引き受ける
どんな賭けも

一度だけのこの人生
自分のカードは自分の手でまく
どんなカードが来てもいい
そうよ!
私は 私よ!!


(ラ・カージュ・オ・フォール
ありのままの私/I Am What I Am より)


ーーーーーーーーーーーーー

ありのままであるために自分をさらけ出し
その責任を全て引き受けるザザの生き方。
男でもなく女でもなく、
「ありのままの私」がきらきらと輝いて素敵です。

ザザ演じる市村正親さんがまた適役過ぎる適役で。。



現在は市村正親&鹿賀丈史の豪華夫婦役の人気公演。
市村さんはかなり昔から長い事ザザを演じ続けて居られますが、
前々回公演より鹿賀さんが競演とあって、
ぜひ(私にとっての)豪華キャストで観たい舞台でしたが、
残念ながらのんびりしすぎてチケット戦線にやぶれ観る事叶わずでした。
が、来年、同キャストで再演されると知り、
今回は気合いをいれてなんとかチケットを手にしました。
大好きな日生劇場で、来年2月の開幕がたのしみです。



2014.02.08 Saturday

雪、雪、雪、

  


きゅっきゅっきゅっと雪を踏みしめる。

今日に限ってお出かけの用事。
でも意外と外に出てみると寒さも雪もまだ思った程の事でもなかった。
私が小学生のころはこういう雪が毎年降って、雪だるま作っていたなあ。




雪を踏みしめて到着したのは千駄ヶ谷の国立能楽堂。
本日1日限りの女性能楽師たちの公演です。



公演は2つの仕舞からはじまりました。

まずひとつめは、
「花筐」(はながたみ)
あらすじ・・『 謡曲。四番目物。世阿弥作。日本書紀などに取材。
越前国にいた大迹辺(おおあとべ)皇子(のちの継体天皇)は即位のため、
照日の前(てるひのまえ)に形見の花筐を贈って上京する。
照日の前は物狂いとなって都へ行き、行幸の行列の前に出て天皇と再会する。』


白髪の女性がシテ(主役)・照日の前。
とおるとおる。
はらからの声。

ふたつめの仕舞は
「清経」クセ
あらすじ・・『敵は執拗に追いかけて来てどうしようもなくなってしまった。
もはやこれまでと、清経は舟の上で月を眺めて笛を吹き、
念仏を唱えて入水した有様を舞う。』

平家物語をベースに、
清経役を女性能楽師がりりしく舞う能楽版宝塚な世界。

休憩を挟んで
能「巻絹」
この演目では巫女(シテ/主役)以外すべて出演者は男性能楽師でした。

あらすじ・・『熊野権現へ巻絹を献上する道中、
使いの男は音無天神の梅に心をうばわれ、
和歌を一首詠んで居た為に遅参してしまいお咎めを受ける。
そこに音無天神の神霊が乗り移った巫女が現れ、
男が梅を前に詠んだ歌を証拠に男を助ける。
やがて巫女は激しい舞を見せるが、神が去って本性に戻る。』


読売オンラインに本公演が出演者のインタビューとともに紹介されていますが
「巻絹」のシテの鵜澤久(うざわひさ)さんの言葉をすこしだけ転載させてもらいます。

装束を含めた巫女のエロチック、セクシュアルな面を
ごく自然ににじみ出せたらと思う。
女性が意識的に表現するのはみっともないので、能ならではの表現方法を模索している。
また、女性の姿をしたまま、天神が乗り移るところにも面白さがあるのではないか』
『物語の筋より、和歌を媒介として、
天神、巫女といった神を感じさせる要素が多いのが興味深く、
神がかるという芸能の原点を感じさせる
』と語る。

読売オンライン「女性能楽師による公演」


巫女の激しい舞の場面は非常に興味深かった。
今回はこの狂い舞いの場面が長いバージョンで上演されているとのこと。
さらに雅楽の演奏が呪術的であり、巫女をトランス状態に引き込んでゆく。
能楽堂にひとつの清浄な神を迎える場が作られ、
やがて神送りの場となり、物語は終演を迎える。
また特筆すべきとしては
使いの男役の能楽師・長山桂三さんがすばらしい声色の持ち主で
耳がその響きによろこんでいました。

なかなか活躍の場をみることがすくない女性能楽師たち。
いろいろ気づく事や考えさせられる事があり非常に貴重な公演でした。
みにこられてよかった。



能楽堂の中庭



2014.02.03 Monday

いくつになっても

 
今年4月に、何十年ぶりになるのでしょうか。
市村正親さんがファントム役を演じます。
このニュースを知った時、胸がぎゅうと締め付けられました。

劇団四季所属時代に演出家から
『おまえはステーキ(主役)の添え物のサラダだ。』と言われ続け、
脇に回る役を演じ続けていたという市村さん。
もちろんサラダがわるいとは全く思って居ません。
脇を固める役者は作品にとって非常に重要であると言う事もわかっています。
ただ、主役だろうが脇役だろうが、その役がその人に合っているかどうか、
なによりこれが作品にとってもっとも重要なのではないかと思います。
当時よく市村さんが『オーディションでこの役を受けた。』というインタビューを
見かけるたびに私は
『え、全然市村さんの持ち味と役が合ってないじゃん!
市村さん自分をわかってないのでは・・苦笑』
などと(ナマイキにも)思って居たのですが、
じつは上記のような演出家の思惑があったのだということは
かなり後々になって市村さんのお話から知りました。


自分に合ってないサラダに甘んじていた市村さんの転機は
オペラ座の怪人初演のオーディションの時。
ロンドンから本場のスタッフや四季へやってきて、
「オペラ座の怪人」のオーディションを行った。

”添え物のサラダ”の市村さんはラウル役でそのオーディションに挑んだ。
しかし市村さんの演技を一目見るなり、ロンドンスタッフは、
『なぜ君がこの役でオーディションを受けてるのか?
ファントムは君だろう!!』と。
そしてロンドンスタッフの強い推薦により、
市村正親氏の「オペラ座の怪人」ファントムが誕生した。
本当にうれしかった、と市村さんが語る。

当時の市村ファントムをご存知の方はおわかりだろう。
いかに彼のファントムが心を深くえぐる存在だったか。
その後いろいろな四季の俳優がファントムを演じたけれど
市村さんの生まれ持った「何か」には到底届かない。
映像も何も残らない生の舞台。
指の間からこぼれ落ちる舞台の上の刻々と過ぎて行く時を惜しみながら、
ひとつひとつの瞬間を大切に胸に刻みながら観劇した市村ファントムの公演を
いまも鮮明に思い出す事が出来ます。
生の舞台には到底叶わないけれども、
市村さんキャストのファントムのCDは今でも私の大切な宝物です。

ところが大好評ロングランとなった「オペラ座の怪人」だったが
市村ファントムはとても短い期間で降板させられてしまった。

まず四季の演出家が、
市村さんの抜擢に何かしら気にくわない部分を持っていたのだと思う。
『ノースター制度をとる四季の中で、ずば抜けて一人の俳優に人気が出てしまうと、
その他の役者がファントム役に配された公演にお客が入らなくなる可能性がある。』
これが、四季の演出家の判断だった。

市村さんはそれからまもなく四季を辞めた。
『四季では自分は使い捨ての駒なのか、という不安を持った。』という旨を後に語っている。
その後いろいろな公演を重ね、現在も大活躍の市村さん。
四季退団後も次々に立つ舞台を、私は時間とお金の許す限りいろいろと観に行っていた。
そんな時期、あるひとつの公演が胸に突き刺さった。
「市村座」という市村さんのワンマンパフォーマンスショーだった。
ショーの中盤、市村さんは、ファントム・・・らしき衣装で
ファントム・・らしき歌を歌った。
『「オペラ座の怪人」の上演権は四季が所有しているので
日本国内で四季以外の舞台でオペラ座の怪人を、たとえショーのわずかな時間の
パフォーマンスとしても上演することは叶わなかった。』との旨を、ちょっと
冗談っぽくぼやかす感じで説明していた。その時の市村さんは笑顔だったけれど、
ファントム役を切望する市村さんの心の奥深い傷を見てしまった思いがして
涙が出た。
妙に変調したメロディーラインを歌い演じる市村さんの”ファントムもどき”が魂に触れて
心が痛かった。本物のファントムなのに・・・ここに居るのに・・・と思った。

あれから数十年。
今年の4月にオペラ座の怪人の続編といわれている作品「ラブ・ネバー・ダイ」が、
帝国劇場で上演される。
「オペラ座の怪人」をつくったアンドリュー・ロイド・ウェーバー氏の作品だ。
ただこの続編、物語としてはロンドンのウエストエンドでは不評。
それはそうだろうと思う。
ウエストエンドの舞台版「オペラ座の怪人」は、
(※映画版の「オペラ座の怪人」は演出が変えてあるので別もの作品)
すでに奇麗に完結しているのだから。
これ以上は蛇足というものだ。
ロイド・ウェーバー氏の事情も何かしらあるようだが、
あらすじを読んだだけでもがっかりなクズ・ストーリー。
大概”続編”とはそういう作品が多いんですよね。

・・・と思って居た。
続編にはみじんも興味はなかった。
興味はなかったのだけれど、
この続編「オペラ座の怪人」のファントム役に市村さんがキャスティングされたのだ。
(しかもダブルキャストが鹿賀丈史という豪華版。)

最悪の台本に最高のキャスティング!

そう思う一方で、とまらない感情があった。
あれだけ切望し続けていた、おそらく市村さんの舞台人生最高のファントム役を
数十年後にとうとう再び手に入れる事が出来るなんて。。
自分の生きる世界で真摯にあきらめずに努め続けていたら、
こういうことも起こるのだなあ・・・と。

市村さんのご褒美ファントム。
物語としてはまったく感心がないけれど、
あの時、市村さんのファントムを切望する魂の傷に触れてしまったから、
やっぱり観とどけたいと、1公演だけ、チケットを取った。
(こんな理由で、物語として興味がない舞台のチケットを取るのは初めてです。)

ポスターの、衣装を身にまとった市村ファントムがやけに艶っぽい。
ラブ・ネバー・ダイ公式サイト
http://lnd-japan.com



2014.01.30 Thursday

「ドン・ジュアン」

 
昨日は、
劇団「山の手事情社」の公演、「ドン・ジュアン」を観に行ってきました。
ここの劇団はかなり昔から知ってはいましたが、
友人のお姉さんが所属しているご縁で何年か前に
シェークスピアの禁断の「タイタス・アンドロニカス」を観劇したのがきっかけ。
人間の深層心理をえぐりだすような描写、
限られた空間で限られた(かのようにみえる)身体表現。
非常に質が高い内容で、
ここにも「型」を用いる事によって可能性を広げるという
日本独特の舞台表現の空気が感じられる気がしました。

ドン・ジュアンはフランス語読みなのですが、おそらく日本では
「ドン・ジョバンニ」と言った方が名が知れているかもしれませんね。
私はモーツアルトのオペラでこの物語を知りました。

筋書きはほぼモーツアルトの「ドン・ジョバンニ」とも変わらないのですが、
観劇し終わって感じたのは、
私が知っているドン・ジョバンニに比べてとっても『日本人っぽい!』ということ。
上記したこの劇団の特徴でもある独特の型の表現とあいまって、
そこここに日本味あふれているのを感じました。
この劇団が主にヨーロッパで高く評価され召還公演を何度も行っているのも
もしかしたら、外国の戯曲に加えられるこの日本味を
海外の国々の人たちが感じているからかもしれません。

少し話が脱線しますが、
モーツアルトの「ドン・ジョバンニ」の公演でも個人的に好きなのが
DVDになっている、2001年のチューリッヒオペラハウスでの公演。

舞台全体に艶やかで鮮やかな魅力があふれていて
ロドニー・ギルフリー演じるドン・ジョバンニもとてもいい。
女性陣もパワーがあり素敵。
演出される悪徳、美徳に魅力があり物語に引き込まれます。
ラストがまたとてもしゃれていて、うわ〜って思いました。
演出がオペラと言うよりミュージカルに近い感覚で
それがまたとても新鮮でいてとても好み。

このDVDの影響もあり、こじゃれたヨーロピアンな
「ドン・ジョバンニ」のイメージが私の中にあったのですが、
昨日の「ドン・ジュアン」は180度違っていました。
上記しましたが、「日本っぽい」。
衣装のスーツ姿にそう誘引されるのかもしれませんが、
「まじめ」に悪徳を追っている感じのドン・ジュアンは、
オペラのような夢物語ではなく、現代の・現実に重ね合わされるような。。。
ドン・ジュアンが落雷に打たれ消えた後、
従者のラストの『俺の給料!』という叫びはさらに現実に引き戻します。
うまい幕引きだなあと思いました。

休憩なしの90分の公演でしたが、この劇団独特の濃密な時間を体験致しました。
すごく質が高いけれどだれにでもおすすめ・・・という訳ではない作品を
次々に上演している山の手事情社の公演。本物だと思える芝居の1つです。



2013.10.18 Friday

うさぎがぴょん

  
あの山からこの山へ
跳んできたるは何じゃるろ
頭に二つ ふっぷっと
細うて 長うて
ぴんと跳ねたを
ちゃっと推した 兎じゃ


**

国立能楽堂で「ござる乃坐」みてきました。
野村萬斎さん主催の狂言の公演です。

今夜上演されたのは、
「入間川」「隠狸」「安宅(あたか)-瀧流し」「石神」の4演目。
(冒頭の謡は、「隠狸」より。)
このうち「安宅-瀧流し」だけは素囃子で、
舞はなく、大小の鼓と笛での演奏のみ。
歌舞伎の「勧進帳」の出典となる某場面を描いているとの事。
演奏のみだけれど、面白い。
演奏中、笛がいちだんと高い音に変調するのだけど、
プログラムの解説によると、この高い音は、
盤渉調/ばんしきちょう(雅楽をご存知の方にはおなじみですが)といい、
水を表す調子と考えられていると言う。
さらにここで小鼓が掛ケ声をかけずに音を打ち詰める「流シ」という手を演奏し、
通常はこの素囃子の前後に謡われる「鳴るは瀧の水」を強調しているのだそう。
シンプルでとてもよくできているのだなあ。。
雅楽が好きで家でもよくきいているのだけど、
音のひとつひとつが自然とむすびついていて
感動・・ともちがう、なにか生来の振動みたいなものを身体に感じて心地よい。
そういうものが、この今日の素囃子の中にもあるように感じられました。


それから空間。
能楽堂のあの独特の空間は、
清涼で乱れのない厳しさと、すこーんと天につきぬけるものがある。
この空気感は見に来ているお客さん(お客さんといっていいのかな?・見者かな)
にもはっきりつたわっていて、
狂言がはじまる前も休憩中も、おしゃべりは小声でみんな慎んでいる。


狂言そのものもとても面白かった。
笑い=祓い が、とても直接的に表されているのがわかる。
狂言は今までも何度か見た事があるはずなのだけれど、
今になって改めて面白いと思えるようになった気がする。
狂言が歌舞伎にふれることをいとっていた、というのもなんだかわかる気がする。
歌舞伎は”俗”担当で、狂言は古くからの”神事”だという。
みていてやはり神楽を思わせる部分がある。

ひとの表情や動き、言葉の音のひとつひとつをこまかく丁寧に分解し、
再構築して型というものをつくっているようにみえる。
不自然なようで居て、究極の自然。
演者の表情や感情の動きで伝えるのではなく、
どしんとした肚をともなった「型」でもって伝える。
そしてそれがちゃんと伝わってくる。
本当に不思議な世界だなあ。

狂言はその「型」による表現のおかげで、
まるでスルメのようにじわじわと、噛めば噛む程
旨味がいつまでもいつまでもにじみでてくる。
しっかりスルメが噛める、その味をたのしめるいまの自分でよかった。
ありがたい。

狂言の不思議な決まり事、型のこと、もっと知りたくなりました。
(女形の表現も歌舞伎を見慣れた目からは独特で、白い布のほっかむり、
メイクなしで、声音も男のまま・・・でもちゃんとかわいく見えるから面白い)

不思議な「場」で過ごした時がゆったりゆったりとながれる帰り際、
ふっと夜空を見上げたら
能楽堂の屋根の上にもうすぐ満月のお月様が浮かんでいました。



2013.09.25 Wednesday

「ドレスサークル」

 
何年か前にロンドンの「ドレスサークル」というミュージカル専門店から
『実店舗を閉店します。』というご挨拶メールをもらっていたのですが
(以前ここのネットショップで買い物をした際にメール登録したので
お知らせメールが来たのでした)
いまも引き続き新譜情報などのメールは相変わらず来ているので、
そういえば実店舗の方はどうなったんだろう?とちょっと気になって調べてみました。

「ドレスサークル」が閉店するという情報にともなって、
ウエストエンドのミュージカル俳優たちが、
『ロンドンにとって貴重なミュージカル専門店をなくしてないけない。』
とたちあがり、ここ数年の間にトリュビュートアルバムを制作・販売したり、
ガラ公演企画したりして救済活動を行ったのだそう。
もともと「ドレスサークル」の店舗では、ミュージカル俳優のサイン会など企画され
俳優と観客との草の根的(?)な交流の場としても知られていたのでした。

そんなわけで一時もちなおした「ドレスサークル」でしたが、
やはり経営は厳しく、今年2月に閉店してしまったそうです。

昔、「青山ブックセンター」が閉店になるというニュースを聞いたときに
目の前が真っ暗になる思いがしたものですが、
この本屋の根強いファンや企業がたちあがり、
『こういった文化レベルの高い本屋をつぶしてはいけない。』と、
救済活動に乗り出しみごと青山本店を復活させた、というお話を聞きました。
先日も行ってきましたが、
やっぱり青山ブックセンターでなければ!という感じの品揃えでした。


しかし、「ドレスサークル」の実店舗はなくなってしまったのかあ。。
ロンドンミュージカルファンは必ずと言っていい程立ち寄る場所だったのに。
(ロンドンミュージカルとアメリカのブロードウェイミュージカルとは
また全然違うんですよね。)

紙媒体の書籍はなくならないと思うけど、
CDは、すでに『CDを一度も買った事がない。』という世代もいるので、
ダウンロードの時代とはいえ残念です。

きょうもドレスサークルのネットショップから、
2013年オリジナルロンドンキャスト「チャーリーとチョコレート工場」の
新譜発売のメールがきていましたので、ふとこんな話題なのでした。


P.S.
昔、ロンドンに1週間滞在してミュージカル観劇三昧していたとき、
やはり「ドレスサークル」をはじめとしてCDショップ巡りをしたのですが
日本語英語で「ミュージカル」って言っても向こうでは全然通じなかった。
カタカナ英語で書くならば「ムシコー」がただしい発音だと
初めてこのとき知ったのでした^^;



2013.09.06 Friday

無題

 
死ぬはずだった赤ん坊は救われた。
両足首をくさびで貫かれ山中に打ち捨てられていた赤ん坊。
そのひどく腫れ上がった両足から、その赤ん坊は「膨れ足」と名付けられた。

**

王妃は赤ん坊が生まれてすぐ、信頼できる王家に使える羊飼いに
この赤ん坊を引き渡し、山中に捨ててくるように命じた。
自ら産んだばかりのその赤ん坊を殺す為に。

神の信託として予言者が王に言ったのだ。
『この赤ん坊は自分の父親を殺し、自分の母親と結婚する。』と。

王と王妃はその神託を恐れ、
産まれたばかりの赤ん坊の両足をくさびで貫き、捨てたのだった。

羊飼いは赤ん坊を不憫に思い、
遠い国からやって来ていた羊飼い仲間にその赤ん坊を引き渡した。

幸運に恵まれて死ぬはずだった赤ん坊は救われた。
何ゆえに救われたのか?
彼は普通にあるような死に方で死ぬ事はないだろう。
なぜなら重い苦しみを生き地獄の中でただただ苦しみ抜く為に生かされたのだから。
この世の穢れを祓う為に。

**

かつて自らに課せられた予言を知ったとき、オイディプスはそれを避けようと決めた。
自分を育てた両親が実の父母ではない事も知らず、罪を犯すまいと
身を裂く思いで両親と生涯二度と会わない決心をして国を出た。
心を強く持ち、利発さですべての困難を切り抜けて生きて来た。
・・そのつもりだった。
めぐりめぐってそのすべてが裏目に出て、やがて予言は完遂された。

**

道が3つにわかれる場所で
オイディプスは5人の見知らぬ一行から「道をあけろ」と見下して言われた。
むっとしたオイディプスは「いやだ。」と言った。
頭に杖を振り下ろされたオイディプスは激高し、つぎつぎにその一行の人々を殺した。
そのなかに実の父がいた。

このオイディプスのキレル性質。
この物語の中であるいみ最も恐ろしいと思った。
この落とし前は結局彼の身に降り掛かり、自らの破滅へと、
あの予言通りに導かれてゆく。
呪いの言葉はそれを吐いた口の持ち主へとそのままふりかかる。

**

有名なギリシャ悲劇「オイディプス王」。
「オイディプス」とは「膨れ足」という意味だそうだ。

シアターコクーンでの野村萬斎主演の「オイディプス王」をDVDで観た。
いまからもう10年くらい前の上演だけれど、
まさか自分がギリシャ悲劇で泣くとは。
「オイディプス王」の舞台は今まで何度か観ているし、物語も知っていたけれど、
あまりにこの舞台でのオイディプスが孤独すぎるので。
猜疑心にとらわれるのは彼が不幸だからだ。
心許せる..甘えられる相手が居ないからだ。
(この話、”オイディプス・コンプレックス”の語源となった物語ですね。)

人の力ではいかんともしがたい神の、あるいは自然の、脅威。畏怖。
オイディプスは頭のいい人間で、
独力と神託によって、民衆の心をとらえ某国の王にまでやがてのし上がり、
そしてその某国の妃と結婚するのだが。。。
どんなに避けようとしても避けられない、
よかれと思ってした行動がすべてこの一人の人間と
彼が築いた一族の破滅へと集結してゆく。


オイディプスが産まれたとたん実の母親はその赤ん坊を殺す目的で山中に捨てさせた。
幸運の皮をかぶった不幸がつきまとうオイディプス。
もっとも呪うべき人物は自分である事を知り、
自らの手で自分の両目をつぶし、
かつて王であった国から自らを追放し砂漠にさまよう。
そうやってこの世の穢れが祓われる。
そのために彼はこの地上に産まれたのだ。

**

人は、”何もわからない・知らない”と言う事で苦しむよりも、
たとえその身が破滅するとわかっていても、
何の為に苦しんでいるのかその理由を知る事の方を選ぶものなのか。



2013.07.18 Thursday

闇に繋がる縁

 


ただいま制作も佳境のまっただなか。
でも今宵はちょっと息抜きで、
たのしみにしていた歌舞伎「東海道四谷怪談」を観に行ってきました。

私にとって「四谷怪談」と言えば、勘三郎さんのお岩に橋之助の伊右衛門。
コクーン歌舞伎の初演で観て、この舞台にひとめ惚れ。
再演をずっとずっと待ち続けてようやっと12年後に、
かぶりつきの座席でみたときの記憶はいまでもまだ鮮やかです。→当時の感想

コクーンの歌舞伎は本来の脚本・演出を再構築したものでしたので、
歌舞伎座での「四谷怪談」を観るのは今日が初めて。
あ〜なるほど〜こうやって最初から順繰りに話の筋を通すんだ、とか
歌舞伎座では本水はないけれど、歌舞伎お得意のシュールな見せ方の妙にまたも感心。

そしてなにより、お岩さんと伊右衛門の印象が
今回またがらりと変わりました。

勘三郎さんのお岩さんは、あか抜けなくて、
どんなに邪険にされても、伊右衛門がとってもすきで一緒に居た。
殺された父の敵をとってくれるからというのではなくて、
きっとお岩さん、伊右衛門がすきなんだなあ。。って思った。
そして悪い奴だけど華があってあらがえない魅力があった橋之助さんの伊右衛門。
だから、お岩さんがせつなかった。
お芝居が終わった後もお岩さんのせつなさがずっと心に残っていた。
四谷怪談ってせつない話なんだなあ、と思った。


さて今回のお岩さんを演じるのは尾上菊之助さん。
伊右衛門役は市川染五郎さん。
染五郎さんの伊右衛門は、ただの悪い人だった。笑
あまりに悪い人すぎて、
私の隣の席に着物で一人で観に来ていた人なんかは
伊右衛門が悪行するたびに「チッ」と舌を鳴らしてイラついてた。
(今回の四谷怪談もそのくらいのめり込める、と言う事でもありますね。)

今回、華があったのはお岩さんの方でした。
最初イノセントだったお岩さんが、怨念の塊に豹変する。
この人(お岩さん)もともとこういう闇の部分を持っていたのだ、と納得させられる。
純粋の白さが白ければ白いほど、反面、闇は濃く深いのだ、と。
そんなお岩さんで、せつなさはなく、怖い怖い。
有名な髪梳きの場面のお岩さんのあの、ぬらりと光る瞳。暗い情熱の輝き。
ぞっとする魅力と迫力。
怖い怖い。
菊之助さんのお岩さんは怖い。
そして華がある。
顔が崩れ、髪が抜けおち、お歯黒に、あばら骨。
それでも華がある。
どんぞこの闇の中で、あの我が意を得たかのような目の輝きは何なのだろう。

なんでお岩さんは伊右衛門と一緒に居たんだろう?と、ここでまたふと思う。
伊右衛門が好きだから?
伊右衛門が父の敵を取ってくれると言ったから?
いや、ちがう。
これは縁だと思った。
同じ闇を持つお岩と伊右衛門ふたりの縁。

今回30年ぶりに蛍狩りの場面がはいった四谷怪談でしたが、
この場面、物語終盤のもうとことんどろどろになってから入ってくる幻想シーンなのですが、
若くうつくしいお岩と伊右衛門がふたり舞いを舞っている。
ところがお岩の顔が崩れて恨めしい気持ちがあらわになっていくというものなのだけど、
美しいけどそれだけではない怖さ、黒さ、
まさに闇で繋がるふたりの縁を象徴している場面のように思えたのでした。
ひじょうに印象的な場面でした。

役者の組み合わせに寄って、まるで別の物語に感じた今回の「四谷怪談」。
四谷怪談って恐い話だったんだ!と。(本来そうなのかもしれませんが。。)
凄みのある美しさ、菊之助さんに拍手です。
今回菊之助さんは3役で出ていて、早変わりもさることながら
与茂七の陽の清々しさが良かった。この物語の正の救い、とでも。


同じ役者さんでもまた12年後に観たら(12年後に再演があるかわかりませんが)
また違って観えるのかもしれませんね。
わたし自身の感受性も変わっているかもしれないですし。
同一作品を長いスパンで同じ役者が、あるいはいろいろな役者が、演じるからこその
歌舞伎ならではの楽しみです。


それにしてもあのコクーン歌舞伎の熱気はなんだったんだろうとつくづく。
ああ、勘三郎さん!!



2013.07.17 Wednesday

東京蜃気楼

 
坂東玉三郎さんの貴重なインタビューが収められた
ドキュメンタリー映画「東京蜃気楼」を図書館で見つけました。

玉三郎さんの言葉そのままではないかもしれませんが、
記憶を辿って印象に残った内容をメモしてみたいと思います。

***

型について。
歌舞伎のように型というものがあると不自由に思えるかもしれない。
自分の感情では右に向きたい場面でも、型では左にむかなければならないとする。
無意識で左に向くことができるようになるまでお稽古をする。
それができないのは専門家として失格なのだと思います。
次に同じ場面において、左を向いて更に少し手を上げてみてはどうか。
そのほうがお客さんに見えやすいのでは、という事を考える。
そうやって型のとおりに行い、
自分の中にそれに沿った感情がしっかりと出来上がった時、
ついには、何の振りをしなくとも、つまり型というものを外しても、
ただそこに居るだけで感情が伝わってゆくようになる。
型を外すと言う事は、型破りということは
しっかりと型ができた者のみができる事です。

人間がこの世に生きていることは、悪いとまではいわないけれども、
あまり良いこととは思っていない。
どんどんと自然を壊し、人が自然を凌駕できるかのような、この世はこうあり続けている。
ここから早く逃れたいと思う。
けっこう死にたいと思ってますね(笑いながら)。
死にたいという言い方は、天に対して不遜なので、
天に帰りたい、という言い方なら怒られないだろうか。

虚しさや、倦怠感といったものは、歳とともに外れていった。
なぜならもう十分それらを味わったから。
一番底まで落ちたら、あとは上昇するということも今は知っているから。

何もかも投げ捨ててしまいたいと思うことは、過去にはありました。
今は、投げ捨てるのではなくて、切り離して見ている。
だから、捨てようにも今の自分は何も持って居ない。
投げ捨てたい、と言うのは、逆に言えば、
捨てたくないものを持っているからこその感情でしょう。

自分が役者を辞めることはあると思います。
自らが舞台に立つこと以外に結構今まで色々なことをやらせてもらってて、
自分の運命として、自分には道が他にもあるということがわかったから。
いろいろやったからそう思えるのか、
ほかの道を見つけたいが為に今までいろいろなことをやったのか、
どちらが先なのかは自分でもわからないけれど。


年をとってから若い役を理解できるようになった。
若い時はそのまま舞台に出れば若い役そのままだったから、
何も考えなかった。

今、舞台で動物や精霊のような役もやらせてもらっているけれど、
いつまでもできるとは思っていない。
それは、ある時、幕が開いた瞬間にお客様の反応でわかる時もあるし、
スタッフなどの周りの人の、自分を見る目の色でわかることもある。
周りの人には直接言っても欲しいし、
その周りの人の目の色に、常に気がつける自分でいたい。

***

映画を見終わって、
おそらくわかってはいたけれど、
穏やかでいて、そして非常に厳しい人だと思った。

舞台の置かれた空間と一体になるのが好きだとご本人が言われるように、
インタビューに答えながらもそこにまた一つの場を作っておられる。
ゆったりと周囲の時間の流れを変えてしまうほどの包み込むような穏やかさ。

それでいてこれみよがしな感じはこれっぽちもないけれど
立ち入る事のできない圧倒的な厳しさも感じる。
歌舞伎に限らず、あらゆる道において
それを極める者すべてに通じるものがあるのではないかな。
貴重な映像でした。



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