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2016.12.27 Tuesday

旅と海老とクリスマス

 
スペインでは、、というより、おそらくカトリックの国では
クリスマスは1月6日のレイエス・マゴス(三賢者)の日を持って幕を閉じます。
大晦日や新年もクリスマスシーズンの内の行事の1つという感じがあるので
やはり何よりクリスマスというものが文化的・民族的には最重要で、
もちろんいま現在も向こうではクリスマス・シーズンまっただ中です。
いわゆる日本みたいな「年末感」が、
スペインに住んでいた時には全く感じられませんでした。
ず〜っとクリスマスの感じ。

そんな訳で、
昨晩スペインの友人からクリスマスのごちそうの写真が送られてきました。
先日のおぼえがきにも少し書きましたが、
むこうでクリスマスのごちそうと言えば、海老です。
写真には海老のみならず、
ロブスター?など数種の甲殻類も写っていてゴージャス。
写真では分かりにくいですが、お米と煮ているので、いわゆる「おじや」みたいな料理です。


(ちなみに日本のおじやは、スペインから伝来したもの。スペイン語で『オジャ』と言います。
大元を辿れば、アフリカ料理なのだそうです。
アフリカからジブラルタル海峡を渡ってスペインに入り、
そこからスペイン・ポルトガルが南蛮文化を日本へ持ち込んだ際に
オジャも渡ってきたのでしょうね。)



この夏スペインの窯元ラ・ランブラの町に滞在していた時に親友から、
『来年はカトマンズに旅行するから現地で会おうよ!』
と言われました。
『日本からなら、スペインへ来るよりも近いでしょう?!』と。

カトマンズに興味ない。。というより、
”観光旅行”そのものにまったく興味がない私は即答で断わったのでした。
その会話をそばで聞いていた親友の旦那さん曰く、
『MAJOは、それよりもラ・ランブラに来たいんだよね。』

ご名答。笑。

もともといわゆる「観光旅行」には魅力を感じていなくて、
つまり、ツアーだろうとフリープランだろうと、
ぎゅう詰めのスケジュールの枠に自分をはめこみ、
ガイドブックと同じ写真を撮って帰ってくるような旅はいやだなあ、と。
国内・国外に限らず。

旅にはいつも私個人なりのかなりピンポイントな目的があって、
それは、陶芸の仕事だったり、
以前にはサンティアゴの巡礼の旅だったり、
もっと昔は、現地でしか観られない演目の観劇目的だったり、と。

スペインは特に土地に呼ばれているように心で感じられるのが
私には不思議です。
現実的には行けそうもない遠い国だと思っていても、
心の赴くまま何かの助けが入り、
この夏のように思いがけず渡航することになるのです。

そんな訳で、その土地に即した
私個人にとって沸き立つような明確な理由がなければ
たぶん旅などには出ないだろうと思うのです。

そして
たぶんすべての要は「土」にかかわる事をしているということ、
すべてそこから発していることなのではないかなと感じ取っています。



2016.12.17 Saturday

ひかりの道とか富士山といった物語が。。

 




この世のことを「うつし世」というけれど。

自分の内にもとからの物語が在る。

ひかりの道とか富士山といったような。

それがこの世に映し出された時、

『あぁ』と成る。

時々風景をみてそんな風に成るのは
自分の内の物語が突如眼前に映しだされたからなんだ。

きっと。



2016.11.26 Saturday

ひばの森の中/ナルド

 
この間、寝る前に枕元に青森のひばの天然オイルを垂らして寝ようと思ったところ、
点滴キャップがはずれてどばっとぶちまけてしまいました。

その瞬間から私の部屋は、一気にひばの深い森の中。。

やっと昨日あたりから香りが弱まって来てくれましたが、
なかなかに貴重な森林浴的体験でした。。



クリスマスが近いからでしょうか、
香り関係の検索をすると乳香や没薬についての記事を目にします。

いずれもキリスト生誕の際の贈り物として聖書に出てくるものですが、
この二つと同時にナルドというオイルについて取り上げている記事も目にします。

ナルドは、マグダラのマリアがこのオイルでキリストの足を洗ったとしています。
ナルドが出てくる聖書のこのくだりの描写を読むと、
磔刑にかかるキリストとその復活を予言しているようにみえます。



『過越しの祭の六日まえに、イエスはベタ二ヤに行かれた。
そこはイエスが死人の中からよみがえらせたラザロのいた所である。
イエスのためにそこで夕食の用意がされ、マルタは給仕をしていた。
イエスと一緒に食卓についていた者のうちに、ラザロも加わっていた、

その時、マリアは高価で純粋なナルドの香油を一斤持ってきて、
イエスの足にぬり、自分の髪の毛でそれをふいた。
すると香油のかおりが家にいっぱいになった。

弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った。
「なぜこの香油を三百デナリに売って、貧しい人たちに施さなかったのか。」

<中略>

イエスは言われた。
「この女のするままにさせておきなさい。
わたしの葬りの日のために、それをとっておいたのだから。
貧しい人たちはいつもあなたがたと供にいるが、
わたしはいつも供にいるわけではない。」

(ヨハネによる福音書12)



ナルドは、イエスの時代の習慣として
死者を葬る際に使用されたともされているようですが、
一説によると、その1斤の価格は当時の労働者の1年分に相当するのだそうで
特別な身分の方にしか施されなかった香油であろうというのは想像に難くない。

この夏スペインで滞在していた家の庭にナルドの鉢植えがありました。
家主さん曰く、南スペインでは地植えではなかなか育たないとの事。
ナルドという植物はスペインでは誰もが知っているポピュラーな植物のようで、
そう思うと、元を辿ればやはりスペインの国教カトリックとのつながりから
ナルドが知られていることのように見えてくる。

ちょうど私がその家に滞在している間にナルドが開花してくれて(下写真)、
透明感のある甘く優しいお花の芳香をたのしませてもらいました。
お花の1つ、2つをもいで、部屋に置いておくと数日香って居りました。


日本で手に入りやすい「スパイクナード」という精油が
聖書にでてくるナルドであるという説もあるのだけれど、
この精油は重厚な少し癖ある香りで、
なんとなく私は、マグダラのマリアが使ったのはスパイクナードではなく、
スペインで香っていたあのナルドの花を、あの芳香を、
オイルに浸けたものではないかという気がしています。

イエスの時代にはオリーブオイルに花や枝を浸け込んで香油を作っていたようです。
またつぎに夏にスペインへ行くような機会には、
できたら実際にナルドの花で自分でオイルを作ってみようかな、と思っています。
(貴重な花をもぐことを家主さんが許してくれるかはわかりませんが。。)





2016.11.17 Thursday

顕界の事象に映し顕わる






十六夜の月はどこへ?



2016.10.18 Tuesday

夜明けの月

 
昨晩、、というか今朝方は4時半まで窯焚きをしていました。

夜半に強い雨が降っていたのもちょうど上がって
窯番しながら庭で気功をしていると、雲が何となく可愛い形。

あの雲と心を通じて見よう、、と何となく思いながら
その雲に向かう感じで気功(何をする、というわけでもないんですが)。

するとみるみるその雲が開けて、中からまんまるなお月様があらわれました。
なんとなんと。
なんと美しい。

満月から欠けて行く月は「手放す」のを手伝ってくれる。
力のはいった肩を手放しました。

呼吸が楽に。

丹田が動くのが分かります。

お月様があまりに綺麗でニコニコしてしまいます。

満月の気功をこんな風にするものいいなあ。



現在窯に入っている作品を一部ご紹介。













・・・などなど。
この先は窯にお任せ致しました。

うまく焼き上がってくれるとよいな。




2016.07.15 Friday

雷雨

 
待ちに待ってました!という感じ。

ずうっと雨が足りなかったのでほっとしている。
雷を伴って、梅雨から夏の降り方にかわって来ている。
待ちに待ったこんな夏の雷雨。
雷雲の向こうに天心。太陽がそこに居る。心がそこまで届いてしまうような爽快な雷雨。

子供の頃は夏祭りの頃に突然降り出す雷雨にとてもわくわくした。
いまもあの感覚をずっと持ちつづけている。
雨が降ると体がすうっとゆるむのがわかる。

古神道の本等を読んでいると、雨を嫌うことを戒めている。
それはそうだろうなあ、と思う。
植物をみていると良く分かる。
大地をみていると良く分かる。
雨はとどこおりを流し、
行きづまりをリセットしてくれる。

近所のカフェ人と『ますます緑が鮮やかになるねえ。』と話す。
心が自然に還る。

豪雨と雷、祓われて爽快なり。



陶芸の窯にもいろいろあるけれど、
電気窯は雷の力を(その仕組みを)お借りしている。
龍神の力を。



2016.06.09 Thursday

雨。。またも神話

梅雨だから
何の気兼ねもなく
雨が好きと言ってみたり
もっと雨を楽しんでいいような気がしてる。

夜に降り出すここ毎日の雨。
図書館で借りてきた本を開き、
その冒頭を読んで驚いた。
それはアメリカ先住民の神話。

はじめ世界には陸地がなかった。
地上は一面の水に覆われていたのである。
そこで勇敢な動物たちがつぎつぎと、水中に潜って
陸地をつくる材料を探してくる困難な任務に挑んだ。
ビーバーやカモメが挑戦しては失敗した。
こうしてみんなが失敗したあと、
最後にカイツブリ(一説にはアビ)が
勢いよく水に潜っていった。
水はとても深かったので、カイツブリは苦しかった。
それでも水かきにこめる力をふりしぼって潜って、
ようやく水底にたどり着いた。
そこで一握りの泥をつかむと、一息で浮上した。
このときの勇敢なカイツブリが
水かきの間にはさんで持ってきた一握りの泥を材料にして、
私たちの住む陸地はつくられた。』
(中沢新一著「アースダイバー」より)



これは何の偶然か。
体の中で不思議な地震が起きている。。



2016.05.12 Thursday

あまりに夕日が綺麗なので

 
あまりに夕日が綺麗なので
惹かれるようにただただそちらへ向かって歩き出した人は本当にいたかもしれない。
いまよりもっと自然に沿って人々が暮らしていた頃になら。

常に西に向かって歩くサンティアゴの巡礼の始まりはそんな風。


。。なんて空想。



2016.02.23 Tuesday

カナリアのはなし

 
以前住んでいた家の近くにペットショップがあって、
散歩がてら時々のぞいていました。

あるときカナリアがいて、
それはもう素晴らしい歌声に圧倒され魅了され、
それからはそのカナリアの歌を聴くのを楽しみに
散歩をするようになっていたのでした。

そのカナリアの籠のお隣に、成鳥したオカメインコの籠が置かれていて、
ある時ふと気づくと、オカメ本来の鳴き声ではない鳴き方をしていて、
あれ?これってカナリアの歌?のモノマネ!

カナリアの歌を憶えたのでしょう、
オカメインコがカナリアの歌を歌うようになっていたのでした。
このオカメインコを手に入れれば、カナリアの歌とオカメとの一石二鳥。
などと思ったりしたのでした。



大学時代の木工の先生は動物が好きな方で、
鳥も色々飼って居られた。
ある日のゼミで、
セキセイインコを飼ってて
逃げてしまい戻って来なくなった場合、という閑話になりました。

もどってこられないのは、
家の場所が分からなくなってしまうから、という説を立てた先生は、
逃げたインコが戻ってくるようにこのような事をしたのだそうです。

まずインコを飼う際に、一緒に雄のカナリアを飼っておく。
雄のカナリアは一羽一羽、それぞれ独自の歌を持っていて、
じょじょにその基本フレーズに足したりアレンジしたりして
長い一つの歌を作って行く。(素敵な歌をつくった雄ほど雌にモテるのだそう)
そのカナリアの歌を聴き乍ら暮らしているインコは
そのカナリアの歌を憶えているので、万が一逃げてしまった際でも、
カナリアがいればその歌を頼りにもどってくることができる。
ということなのだそう。

そして実際に実験もしてみたとの事で、
見事放したインコは自分の家に戻って来られるようになったというのでした。
特にマンションなど似たような窓やベランダが並んでいる建物から
インコが逃げた場合、戻りたくても帰る家がわからなくなってしまい
かわいそうなんだよ、と言っていました。

この他にもネコに新聞を毎朝持って来させる方法など、
いろいろ変わった面白い話や実験結果の話をしてくれる閑話豊富なゼミでした。



スペインで文化交流の際にお世話になっていた工房では
いつもロクロの傍にカナリアの籠が吊られていました。
ここのカナリアも毎日とても良い声で歌ってくれました。
ロクロ職人さんが毎日エサや水を取り替えてあげていました。

『カナリア気に入ったのならあげようか?』といわれたのですが、
鳥は、ロクロ職人さんのことが好きだと思ったので断りました。

ある年の夏、この年は猛暑で、
日中の気温は摂氏50度近くまであがりました。
ある日工房にいくと、カナリアの籠がなくなっていました。
カナリアがしんでしまったのかとさみしい気持ちに成りました。
なんとなく、ロクロ職人さんにカナリアの事を聞きあぐねておりました。
(職人さんがとてもかわいがっていたように思えたので。)

ところがある日、わかりました。
猛暑だったので、窯を焚く工房ではかわいそうと、
カナリアは職人さんが夏の間、自分の家に連れ帰っていたのでした。
秋からまたカナリアは工房で良い歌声を響かせてくれるようになったのでした。

『そもそもこのカナリアはどうして飼うことにしたの?』と聞いてみると
『ある日突然飛んできたのを、目の前を通過中につかんでみたらつかまった。
だからべつだん自分のカナリアと言うわけでもないんだ。』と職人さん。
ええ〜。すごい出会いですね。



2015.01.10 Saturday

未年といったらこれ。

 
先日友人から、私の今年の年賀状が良かったというお言葉を頂き
とてもうれしかったのです。
『次、未年がきたら年賀状にこの絵柄を使おう』と思ったのは
もう何年も前のことでした。

ヴァン・ダイクの「神秘の子羊」。
この絵を初めて観たのは、中高生の頃。
油絵という技法が確立された最初の作品ともいわれている。
この絵はいくつものパーツに区分されている祭壇画で、
年賀状に使用したのはその一部。

羊が胸から流す血を聖杯が受けている。
その血は世界を浄化するといわれている。
天使は、ボタフメイロ(香炉)で場を清めている。
キリスト教で羊といったら生け贄であり、キリストである。

ここに何度も書いているけど、
キリスト教という宗教には興味がないけれど
イエスと言う一人の人物には興味がある。
いまとなってはキリスト教を手がかりにイエスの残像を拾うしかないのだけど、
歴史的事象と重ね合わせて学んで行くと、キリスト教とイエスは
そもそも何の関係もないということがよくわかる。

そして私はこんな風にかんじました。

むかし、そういう人がいたかもしれない。
シンプルにイエスという人についてそう思えるところまで辿り着いた時、
キリスト教圏の国々の人々の日常の中はもちろん、
その風土からうまれ出てくる小説や映画や演劇などのなかにも、
どこか民族の無意識に根付いた宗教ではないイエスというものがある。
その目に見えないけれど確固とした部分に触れないで
本当にその国の文化に触れることは出来ないんだなあ、と思ったのでした。
DNAに刷り込まれているというのか
民族に根付いているものがあるのは、まあ当然のことなのですが、
イエスというのはそのかなり重要な指針であると改めて感じています。



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