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2019.05.08 Wednesday

「令 / れい」


文化交流の仕事の流れから日本文化について調べていたときに、
「目に見えない世界のほうがはるかに情報量が多い」ということを
お話しされていた方がおられて、今になっていたく納得しています。

たんに情報を一般的に言う「頭で覚える」こととは違い、
目に見えない世界ではすべてが直接体に入ってくる感覚があるので
覚えるというよりも経験に近い感覚であり、
また物質(肉体)の世界ではないので
情報量がどんなに多くとも疲れないし、決して忘れない。
古事記に記されている稗田阿礼が伝えたものは
本来そういったものではないかと感じています。
(因みに稗田阿礼というのは個人名ではなく代々受け継がれてきた役職の名称)
古事記は目に見える世界に残そうとして文書化してしまっているので
「体に直接入ってくるもの」の大部分が結局記されていません。
(古事記の序文にもちゃんとその旨書かれていますね)

令和の「令」は古くは「神(自然)からのお告げ」という意味だったそうで
その音からも大和ことばの当然として「霊」に通じます。

丹田ができていないのに霊感があるというのは
かなり大変なことだろうなと推察します。
古神道ではうるさいくらいに下丹田の充実を説いている。
大きく分けて書きますが、
下丹田の充実があり大地とのつながりがあってこそ
ようやく胸の丹田が開かれる。
胸の丹田が開かれることで霊感に通じる上丹田が開かれる。
この順序には重要な意味があります。

それがどういうわけか下丹田の充実がないのに霊感に通じてしまうのも
何かの因縁があるのでしょう。
下丹田の充実もないのに霊感に興味を持ちすぎるのも
自然の流れに逆らって自ら不自然で困難な道に飛び込むようなものです。

自然の摂理に伴ってベストな状態に整理されている段階が
いちどぐちゃぐちゃに乱されてしまったら
それを再び調えるのは本当に苦労と困難の連続なのではないかと推察します。

けれどどんな道でも向かう先は同じ。
どの道を歩いていてもすべての道は最終的に山の頂上につながっています。

サンティアゴの巡礼をしたとき、
巡礼者すべての目的地はサンティアゴ・デ・コンポステーラでした。
けれど巡礼者はさまざまでしたし、
目的地にたどり着く手段も、日数(あるいは年数)も、人によりさまざまでした。
すべての巡り合わせは、
本人の意思と関係なくひとりひとりその人のために用意されたものでした。

そういう世界が、よそごとではなく今日常の中にも確実にあります。



今日の海散歩。


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