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2019.03.03 Sunday

目線


毎週日曜日に配信される「言葉拾い」というメールマガジンを
もう10年以上も購読しているのですが、
時々、編集後記に面白いテーマが挙げられることがあります。
今号は「白目」のお話に付随してこんなことが書かれていました。
(以下転載になります)
---------------------------------------------

人は視線の方向で、

ある程度考えていることがわかります。

●視線が左上 --「視覚的記憶」
過去に見たものを思い出している。


●視線が右上 --「視覚的創造」
見たことのないことを思い描いている。
(嘘を言っている可能性あり)

●視線が左横 --「聴覚的記憶」
以前に聞いた言葉や音を思い出している。

●視線が右横 --「聴覚的創造」
聞いたことのない音を頭の中で創り出している。

●視線が左下 --「内部的対話」
自分自身と対話している。

●視線が右下 --「身体感覚」
感覚や感情をイメージしている。

上--視覚(映像)
下--感じている。考えている。
左--記憶
右--創造
横--聴覚(音)

といった分け方になるでしょうか。
(視線の方向は、本人にとっての向き)

※この方向は右利きの人の場合で、
左利きの人の場合、多くは左右が逆になるようです。


言語脳= 左脳 イメージ脳=右脳

--------------------------------------------
(転載ここまで)


まず、あれ?と思ったのが、
利き手によって右脳と左脳の働きが逆になるということは
あまりないのではないかなあということ。
左利きにクリエイターが多いのは、
左手を使うことが右脳の活性化に繋がっていると言われているので、
左利きの人のイメージ脳が左脳になってることはまずほとんどないのでは。

そう自分でふまえつつ、

私が過去に見たものを思い出しているときは
右上をみることが多いような気がしました。
上記では

●視線が右上 --「視覚的創造」
見たことのないことを思い描いている。
(嘘を言っている可能性あり)

と書かれているので、嘘を言っている可能性あり?笑
私が思うのは、見たことのないこと、というより
目に見える世界のみが記憶されているのではないのではないかなあ、
ということ。
私の場合、絵付けなどするときに明確なビジョンが現れますが、
それは自分が想像(創造)したものではなく
実際に別の界層に実在しているものだと感じています。

逆に、創造したり想像したりしてつくるのは私は苦手で
ビジョンが現れるもの=実在しているものしか作ることができません。
だから例えばある作品のことを思い出そうとするとき、
可視不可視すべて含めて思い出そうとすると思うのです。
そしてそれは、作品のことに限らずこの世のすべての事象に於いても
同じことではないかと思います。
目に目る世界と見えない世界を切り離して考えようとすること自体
土台無理なことだと思います。

そういった意味では
科学で解明できることって現実の事象からすると
まだまだ原始的だなあと思わざるおえません。

そのあたりに
いま縄文時代が取り上げられその高い精神性が浮かび上がってきている所以が、
これからの現代人へのひとつの課題として在るのかもしれませんね。


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