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2019.02.28 Thursday

本のこと

 



写真はイタリア政府観光局のサイトよりお借りしました
パレルモの路上図書館と紹介されていましたが・・・ワクワクします。




子供の頃より読書が大好きで、
それはいまもずっと続いています。
けれど
「趣味は読書です。」と言うことには抵抗を感じます。
(趣味とは何だろう、という
これまた別のテーマとして考えるべきことかもしれませんが)

本は自分の人生そのものだなあと感じます。
本しかない人生だとしたら哀しいのかもしれませんが、
私の本は机上ではなくもっと活きた魂のうごきを映しているように感じます。
少なくともこれまでの人生を経てきて、今、手元に残されてきている本たちは
そうだと感じています。



幼いころは人間が大嫌いでした。
人間を全く信用していなかった、といっても過言ではありません。
読む本も人が中心になって展開するお話しには全く関心を示しませんでした。
もちろん人形遊びも大嫌い。
野生の活きた生き物が大好きでした。

野生の生き物の高貴さが世界でもっとも優れたものだと感じていました。
だから読む本も(その当時はそう信じていたので)野生動物の観察記や
写真集、図鑑など、丸覚えするくらいに読み込んでおり、
それらの本たちは今も捨てられずに手元に残っています。
今でもどこか、私の魂の中で、活きて光を放っています。



大人になるにつれていろいろな本を読むようにはなりましたが、
これもなぜか見事に海外文学ばかりを読んでいました。
古今問わず日本の作家の本が読めずにいました。
理由はわからないのですが違和感を感じるからです。

当時は新潮文庫の海外文学が秀逸で、
中高生の頃は学校帰りに新宿の紀伊国屋書店や、休日になると神田の本屋街で
すこしずつ気になる海外文学の文庫本を買い集めていました。
それらの本たちはもうすっかり紙も茶色く古くなってしまいましたが
まだ読めそうな状態のものは手元に残っています。

そんな中で唯一の例外の日本作家で、宮沢賢治の本を読んでいました。
これも新潮文庫からでていたもので集めていて、
このときの私は、賢治が日本人作家だとはどこか思っていなかったふしがあります。
しかも彼はクリスチャンだと思い込んでいました。
この時に買い集めた賢治の本は(当時出版されていたほとんどすべて持っていました)、
のちに地元のイベントでの古本市で、小学生の女の子にお譲りしてしまいました。
最近になって宮沢賢治の世界の作品を作るようになり、
手元に賢治の本がなくなっていて、ああ、そうだった、と思うのでした。



サンティアゴの巡礼道へと導いてくれたのも本でした。
これは今思えば私の人生に於いて
目に見えるわかりやすい形での大きな岐路となる本でした。
パウロ・コエーリョ氏の「星の巡礼」。
この本を読まなかったら巡礼はしなかったかもしれませんし、
いまの私も、作品も、なかったと思います。


そしてスペイン在住時の経験から自分の内の学びで欠けているものを感じ、
いまの日本の民族文化にとって要となっているものが古神道であることに直感し、
これもまた不思議なことに何故かサンティアゴ巡礼からのめぐり合わせで
沢山の主要な古神道の本と出会いました。

自分が本の遍歴を重ねるごとに、この大地に近づいていくのを感じます。
だからこそ私にとって読書は趣味とは到底言えず、そして机上のものとも言えず、
人生に於いてもっと核心的なものなのだと感じられているのです。



本はたいてい自分で購入します。
図書館で借りることもありますが、
そういった本はやはり自分の中でも『興味』でとどまるように思います。
同じ本でも手元にずっとあると見えてくるもの・読み込むものが
異なってくるように思います。

また「あ!」と思ったその瞬間にその本をひも解けなければすべて消え去ります。
インスピレーションにつながるものが手元の本に顕れることがあります。
そういう意味でも、紙に映され(写され、現され)、
それを綴じたカタチの本であることは、直感とつながるように感じています。
(デジタルのものは逆に勘を鈍らせるように感じるので近づきません。)

人に貸せる本と貸せない本があるのはそのためです。
いま手元にある私の本たちはまず人には貸せないものが多いです。
貸してその本の感想のようなものを良し悪しにかかわらず聞きたくもありませんし、
中途半端な学びの片棒を担ぐつもりはありません。
それは古神道的には僻事に相当するとも感じます。

同じその本が、人にとっては資料でも、
私にとっては、
私自身の学び道の中(=生きること)で魂をつなぐもの。
職人が自分の道具を決して他人に貸さないのとどこか似ているかもしれません。

水のような空気のような、あって当たり前、常にないと生きられないもの、
・・なんて書くとちょっと大げさかもしれませんが、
私にとっての読書や本はそんな感じのもののようです。



家の近所の古本屋さんが、
『本で曼荼羅が作れる。』と言っていたのが印象的です。

カテゴリ別や出版社、作家別、価格帯、
お客さんが見やすいように揃えてふつうは棚に並べるのだけれど、
本当は、本の宇宙に沿った、この自然に添うような並べ方があって、
大地から天へ、とか
人体の内から宇宙へ、とか、
そしてその循環がまたみなもとに還ってゆく、
そうやってこの世界のすべてを複雑に関わりあい構成する螺旋を描いた曼荼羅状に
本を並べるのが夢だ、と言われてました。
『でもやっぱりお客さんが選びやすく考えちゃって、
それがなかなかできないんですけれども。』と言われるのですが、
私はその曼荼羅が見てみたい、と思うのです。


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