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2016.11.20 Sunday

魂になる

  
舞台演劇、とくにミュージカル、そしてオペラ、歌舞伎などが大好きです。
生演奏の音楽が、音があるのはいいですね。
なかなか最近忙しくて好きな舞台も観に行けていないのですが。。
(引っ越して東京が遠くなったというのも在りますが)

最近自分の内を検証してみてわかったのですが、
私が舞台の何が好きかと言うと、
『憑依体質の役者さんが純化して、演じている人物の魂になる』
というところではないかという結論になりました。

例えば近年の演目で特筆すべき作品としてはミュージカル『エリザベート』。
花總まりという役者さんがあまりにエリザベートの魂そのもので
近来まれに見る感動を得ました。。
そのとき観た舞台を思い出すと
繊細な振動のような感動が体中に蘇るようです。

ミュージカル『エリザベート』は、1992年にウィーンで初演され、
その後日本では1996年に宝塚歌劇団で初演されました。

私は1996年の公演を運良く観る事が出来、
じつは宝塚を生で観るのもこの時が初めての事だったのですが、
非常に素晴らしい作品ですっかり嵌まってしまいました。
そのときのエリザベート役が花總まりさんでした。

1996年の末にウィーンで主演をしていた
マヤ・ハクフォートさんが降板されるという事を知り、
これはもう一生みられなくなってしまう、と
1997年年の明けにウィーンへ飛びました。
(じつはその後続演することになって降板されなかったのですが。。)

現地でも入手困難だったチケットを、(いまのようにネットもない時代だったので)
かたことの英語でチケットボックスにて、なんとか2公演ぶん手に入れた時は
ほんとうに感激でした。

このときのウィーンで上演していたエリザベートはトリプルキャストで、
私が観た1公演目は、お目当てのマヤ・ハクフォートさん。
2公演目に観たのはトリプルキャストのなかで
最も若手の女優さんでした。(お名前失念)

マヤ・ハクフォートさんのエリザベートは大変気性が荒く激しいエリザベートで
(姑ゾフィーと、どちらがどっちかわらないくらいに強くどっしり感が在る)
あまりにがんがんと強く主張するので、
現地ではそこが評価されているところのようでしたが、
私の中のイメージと全く異なり
(やはり私のなかには当時宝塚でタイトルロールに抜擢されて
一杯一杯で演じていた花總まりさんのイメージが
そのまま危うく必死に活きるエリザベートの魂に重なっていたのでしょう)
ウィーンまで来たけれど、宝塚の方が作品としてよかった。。
と思ってしまいました。

そういう意味ではウィーンでの2公演目に観た、
トリプルキャストのなかで最も若手の女優さんの演じるエリザベートには、
王宮の重責に潰されそうになりながらも
ほっぺたを真っ赤にして懸命に主張する姿に心揺さぶられるものがありました。
『厭よ、逃げないわ。諦めるには早い。生きてさえ居れば自由になれるわ・・・!』

さらに宝塚の方が良いと思ったのは、役者のみならず、演出もです。
ウィーンの演出はかなり現代的というのでしょうか、
舞台装置を駆使して、テジタル映像を使い、飛行機の滑走路がでてきたり・・
と、スペクタクルな感じでしたが、
宝塚の演出は、19世紀末のウィーンのイメージを壊さないように
ロマンティックに表現していて、それが物語の進行を、ひいては核の部分を、
落ち着いて素直に観せる事に成功していました。
(19世紀末ヨーロッパの宮廷の舞台的表現といえば、
宝塚お得意の分野なのでしょうし、さすが、といった感じです。

推察すれば、ウィーンでは国立劇場をはじめとして数々のオペラ上演があり、
19世紀末ヨーロッパの宮廷の舞台的表現など伝統的に存在して居り、
そういう環境からミュージカル『エリザベート』としてはあえて
あのような現代的な演出を。。となったのかもしれません。)


それにしてもウィーン側の制作者の、
ものづくり人としての太っ腹にも感服します。
ともすれば『演出・役者等々、元の作品イメージを変えるな』という条件で
日本に入ってくる海外ミュージカルは多いけれど、
ここまで自由に変更を許してくれたのですから。。
(しかも演出が変わった宝塚の為に、その場面に必要とされる楽曲を、
オリジナルの作曲者シルヴェスター・リーヴァイ氏が作曲・提供しているという。。
宝塚版ではその曲が今ではもうこの作品のテーマ曲のようになっていますが、
当然ウィーンではその場面はないので歌われていません。)
その太っ腹あってこそ、
宝塚版は作品として素晴らしいものになっていると言っても良いでしょう。
やっぱり抱え込まずに『手放す』ってことは可能性を広げるんですね^^


さて、
花總まりさんは1998年にも再演でエリザベートを演じています。
この再演でさらに演技が深まり・・というより
憑依度が高まり(こんな言い方あるのでしょうか?)
エリザベートそのものにしか見えない公演でありました。。

おそまきながら、このエリザベートというのがどのような物語かというと、
実在の19世紀末の美貌の王妃エリザベート皇后の半生を描いたもので、
郊外に住む貴族の娘エリザベートに、
当時皇太子だったフランツ・ヨーゼフが一目惚れして
結婚を申し込むところから悲劇がはじまります。
当時の王侯貴族間には珍しく、恋愛結婚だった二人の前には
国を治めるという重責がのしかかり、
幼少時代自然に触れながらのびのびと暮らしていたエリザベートの魂は
王宮に馴染めず、孤独な内なる世界へと沈んで行きます。

劇中、黄泉の帝王(=死)としてエリザベートを死へと誘う『トート』という
この世のものではない存在が要として登場します。
トートは、エリザベートの内なる存在なのかもしれませんし、
彼女と同じ『界』に住む、惹かれ合うものとして描かれています。

この世では『死』はどちらかというと
常識ではネガティブなものとしてとらえられていますので、
エリザベートは死に惹かれながらも、死を否定して生きて行くんですね。
彼女の天秤のもう一端『王宮』を否定するのと同じように。
彼女にとって『否定』が、彼女の内の天秤に釣り合いを保たせています。
『否定すること』が『生きること』になっています。
かなり苦しい人生です。

この物語のラストは、
ウィーンの公演では混沌とした人の業と言いますか
混沌とした人間の生と死を感じるのですが、、
宝塚の公演には『浄化感』しかありません。
『受け入れる』という選択をようやくした瞬間に訪れるやすらぎとでもいいますか。
彼女が受け入れるべきものは『死』だった、というところに
なんとも切ないものがありますが。。
まあエリザベートはその界の方だったのでしょうね。
だから還るべき場所へ還ったのでしょうか。

不思議な現象なのですが、
大概こういったネガティブ要素の多い物語からつくられる場の空気は
やはりそれなりにあまり気持ちの良いものではないのですが
(実際ウィーンの公演では劇場内に禍々しいと言って良いような
雑然・混沌とした空気がありました。
まあ、それが制作者が狙うところだったのかもしれませんが)
しかし、花總まりさん演じるエリザベートには、
ひんやりとした冷たさと同時に何故か純化した空気を感じる。
エリザベートが現実に心を閉ざし深く孤独に陥れば陥るほど、
純化してゆく。。これは言葉にはできない感覚でとても不思議です。。
実際のエリザベートご自身がそうだったのではないか、と思わされるほどの
説得力の演技、いや、もはや憑依のように感じます。

『劇場で演じていると何か(精霊のようなもの)が降りてくる瞬間がある。』
と言った役者さんが居られましたが、
花總まりさんの演じるエリザベートの舞台には
常にある純化した魂が降りて来ているように感じました。

そして満を持して2015年。
宝塚を退団し、帝国劇場での本公演で
花總まりさんがエリザベート役に配役されました。

ながらくのブランクがあるとは思えないほど、
花總まりさんはエリザペートそのままの魂でした。
ますます瑞々しく、ますます年老いて。。
ますます純度が高まっていて、
もはや肉体を離れ、
透き通ってしまうくらいの『魂』そのものを観た思いでした。
亡きエリザベートのさまよう魂が彼女の魂をみつけ、宿り、
舞台の上で純化され、そして鎮魂が訪れる。。祈りのようなものを感じます。

舞台は数々みてきましたが、
今まで観て来た舞台の私のなかでの
数少ないトップクラスに入る舞台でした。。
舞台とは元来こういう場なのだ、ということを根源を教えられたような気もしました。
なにかに捧げられたもの・・・とでもいうのでしょうか。
この舞台、一生忘れません。
(ただラストの演出が。。。良い悪いという意味ではないのですが、
う〜むという感じでした。ウィーン版とも宝塚版とも異なる、
よりいっそうエリサベートのピュアな孤独が際立つようなラストでした。。)

舞台は生もの。
同じ時代に生きてこういう舞台に出会える事は本当に稀で幸せな事です。

計算し、構築し、感情を爆発させ、あるいは押さえ、舞台はいろいろありますし、
いろいろな楽しみ方があると思います。
憑依という言葉を使いましたが、
舞台人には多少なりともそういう素質があるのだろうとも思います。
ただ花總まりさんのエリザベートはそういった言葉や説明をゆうに超えて
魂にとどくこの界ではないものを体現している。
あれは演技ではない、エリザベートそのものだ、と
彼女の舞台を観た多くのひとが言っているように。


そこに届く為に、積み重ね・続けるべき努力は
現実的に在り、必要なことだと思います。
ただ、沢山積み重ね、努力したからと言って必ずしもそこに届くとは限らない。
上手に難曲が歌えたからといってそこに届くとも限らない。
その『おとずれ』がいつどうやって来るのかは誰にも分かりません。
そこが逆に舞台の魅力なのかもしれません。

作曲家シルヴェスター・リーヴァイ氏のつくる音の並びにも
そういう力が在るのだと感じますし、
花總まりさんの持つ、おそらく巫女的な体質が
この妙なる音楽を内包する作品『エリザベート』に奇跡的に出会ったのだ
と思えて来ます。
(いま懸命に言葉でお伝えしようとしていますが、
どんな言葉もあの純化した魂の前には陳腐ですね。。)

少し前のおぼえがきに書きました『天心』という言葉。
それを彼女は、花總まりさんはきっと本質に持っているのだと思います。

東京では来年、20周年記念のガラ・コンサートがあり
演出など変化が見られるとの話も知り、楽しみにしているところです。


いつか『エリザベート』のことを書きたいと思っていたので、
先日友人から『このごろはあまり舞台のこと書かないね。』と言われた事もあって
今日はながながと書かせてもらってしまいました*^^*



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