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2017.10.14 Saturday

メモ


舞台好きの間で、『なにを演じても「大竹しのぶ」。』というのはよく聞きます。
どんな役を演じようがその人の持つ個性そのままの人。

その一方で、
舞台に乗ることで憑依し、本人の個性とは全く別のものになる巫女型の演者がいます。

大竹しのぶ型のひとに、巫女型を強要しても無理ですし、
巫女型に大竹しのぶ型を強要してもそれはできません。

どちらがよいというのではなく
この世に生まれ持った役割というものがあるということ。

これは舞台演者に限らず、
この地上に生まれ役割を担う者すべてにいえることだと思います。

そしてどんな役割であってもその目的は明確です。
祝い、幸わけ、心から輝けるよろこびをこの地上に蒔くためのお手伝い。

型と目的を取り違えると迷走が始まります。
心地の良いところを自然と直感は教えてくれているはずです。


2017.10.07 Saturday

太郎さんすごいな。。

 


非思想的ゆえに、説得力をもたない。
同質的な少数者に対しては「以心伝心」だが、無言の言葉は、
しかしひらかれた大きな組織の中では呪力を失う。
<中略>
とかく日本人の非理論性ときめつけて、これを否定的にしか見ないが、それは片手落ちだ。
三段論法や弁証法でなければ世界観が構築できないというわけでは、もちろんない。
プレ・ロジックは立派に生き得る。
それは現代社会において、かつての形のままでは、通用しないだろう。
しかし、モチーフとしては崩れずに生きていて、
究極の場では、いつも正当につき上げてくるのである。


岡本太郎著「神秘日本」より




このことばそのまま、私も体感し体現してる感じがあります。
究極の場の渦中にいなければ本当にはわからないこと。
理論や教義にばかり頼る人、
数ばかり数えているような人、
情報に惑わされている人etc、
すなわち太郎さん曰く「霊的直感」が働かない人には
きっと理解できないでしょう。
土着のものに結び付いたとき、霊的共感を呼びさますようなことばで
こんな風に伝えることができる太郎さんすごいな。



2017.05.23 Tuesday

メモ





『わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)』

宮沢賢治「春と修羅」






可視化できるものはすべて暫定的である。
現実と思っているこの世はすべてまぼろし。
ゆるがないものは目に見えず、すべてあちらの界にある。



2017.05.17 Wednesday

メモ

 
 「コトタマの学問はどの様にしたらよいのですか」と尋ねられます。
その問いに私は次の様に答えます。
「誰方も毎日忙しくお過しの事と思います。
やらねばならぬ事が山積している事でしょう。
そこを勇気を振い起して
一日の中の二十分乃至三十分を『自分の時間』としてお決めになり、
その時間内は電話の受話器も手にしないで、ただポカンとしていて下さい。
何もしなくていい自由の時間を持つ事です。
大切なのは一年三百六十五日、一日も休まず続ける事です。
その内に何かしたくなったら、
言霊学の本や、言霊に関する宗教書などをお読みになるとよいでしょう。
時間が余ったら、またポカンとしていればよいでしょう。
そういう風に自分の時間を続けている内に、
その三十分程の時間内では妙に自分の心が日常の気忙しさから外れて、
シーンとした静寂の中にいるように感じて来ます。
どんなに大きな台風でも、その眼に当る処は無風状態だと聞いています。
自分の時間が同じような無風状態になったと感じられる方は仕合わせな方です。
その静寂の気持から自分自身を、またはご家庭や社会や、世界を見ると、
そのそれぞれの真実の姿を見ることが出来ます。
ご自分が齷齪と動いている時は、自分の姿や、
家庭、世の中、世界の事も、その動いている姿しか眼に入りません。
自分が動かなくなると、
自も他もその実相をよく見ることが出来るようになりましょう。
健康で働いている時も大切ですが、
立ち止まって静寂の中にいる自分の時も大切なのだ、
という事に気付く事が出来ます。」

この自分の時を持つ事の尊さを
キリスト教新約聖書は次の如く厳しい文章で教えています。  

「われ地に平和を投ぜんために来れりと思うな。
平和にあらず、反って剣を投ぜん為に来れり。
それ我が来れるは、
人をその父より、娘をその母より、嫁をその姑より 分たん為なり。
人の仇は、その家の者なるべし。
我よりも父または母を愛する者は、我に相応しからず。
又おのが十字架をとりて我に従わぬ者は、我に相応しからず。
生命を得る者はこれを失ひ、
我がために生命を失ふ者はこれを得べし。」

(島田正路著「言霊学とは」第百八十四号>平成十五年十月号より)


2017.04.14 Friday

近い将来からその先


「ウラ」とさせられていたものが元来の「アマ(オモテ)」に戻る。

埋められた鏡は掘り起こされる。


古来神道に納められた伝説を
あらためてひも解きたいという気持ちにかられています。

期限はあと2年。

降って湧いたイマジネーション。


2017.03.29 Wednesday

メモ


ノアの箱舟と洪水のことを想っていてふと気づいた。

「天の岩戸隠れ・天の岩戸開き」との符号。

大地の再生と復興。



水によって罪穢れを祓うというのはこの国の神道のみならず、
カトリックなど私の身近でも洗礼ということをしている。

人にとって水というものに対する気持ちは
目に見える物質界以上の役割を持たせている。
誰に教わるものでもなく。
そうしたいと思う心のままに。



辰・巳と水の年が続き、そのあと火の年が来ている。
3年ほど前から鳥の印が見えてくるようになって、
満を持しての酉年となったようにいま感じている。

鷺。
雉。
赤色野鶏。
若冲は鶏が鳳凰であるとその絵の中で言っている。



アマノトリフネ。

ノアの箱舟。




2017.03.15 Wednesday

メモ



『 古代の人々にとって、死は再生であった。
夜の森に、眼を光らせて出没する鳥獣は、
姿をあらわすことを拒否する、霊の化身であった。
時を定めて大挙して湖沼を訪れる鳥たちは、
故郷を懐かしむ死者たちの、里帰りである。』

白川静‏


2017.03.11 Saturday

メモ

 
『今、沢山の人々が、
生きるのをやめています。

この人たちは怒りもせず、
泣きもせずに、
ただ、時間がすぎるのを
待っているだけです。

人生の挑戦を
彼らが受け止めようとしないので、
人生はもはや、彼らに挑戦しようとしません。

あなたも、
その危険をはらんでいます。

人生に反応し、
立ち向かいなさい。
生きるのをやめてはいけません。』

パウロ・コエーリョ



2017.02.23 Thursday

子持ち勾玉

 
 



夕刻海岸でこの雲を見て思い出した子持ち勾玉のこと。

船のキーワード。

ノア。



2017.02.18 Saturday

メモ

 
『本質がわからない』という人がいる。
でも『これは本質じゃない』ということは感じている。

『自分がやりたいことがわからない』という人がいる。
でも『これは自分がやりたいことじゃない』ということはわかる。

明確な目的が今は見えなくとも、
いま自らの心がそれを不自然に感じるのならば、
その気持ちは本物なのだからそれを大切にして
ただ黙して不自然な状態から離れればいい。
不自然に感じる道を避けながら歩んでゆけば、
必ずその道は本来の目的に続くものとなって行くから。

***


「ことばは手段にすぎない。
しかしその手段にすぎないことばをはなれて、
道を説くことができるであろうか。
無限定なる道を説くには、概念の限定をこえなければならない。
その概念を拒否する表現の手段が、寓言である。
虚のみが、実をあらわしうるのである。」

白川静


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