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2018.02.11 Sunday

さそりの火

 



「あれは何の火だろう。
あんな赤く光る火は何を燃やせばできるんだろう。」
ジョバンニが云いました。

「蝎の火だな。」
カムパネルラがまた地図と首っ引きして答えました。

「あら、蝎の火のことならあたし知ってるわ。」

「蝎の火ってなんだい。」ジョバンニがききました。

「蝎がやけて死んだのよ。
その火がいまでも燃えてるってあたし何べんもお父さんから聴いたわ。」

「蝎って、虫だろう。」

「ええ、蝎は虫よ。だけどいい虫だわ。」

「蝎いい虫じゃないよ。僕博物館でアルコールにつけてあるの見た。
尾にこんなかぎがあってそれでさされると死ぬって先生が云ったよ。」

「そうよ。だけどいい虫だわ、お父さんこう云ったのよ。
むかしのバルドラの野原に一ぴきの蝎がいて
小さな虫やなんか殺してたべて生きていたんですって。
するとある日いたちにみつかって食べられそうになったんですって。
さそりは一生けん命にげてにげたけど
とうとういたちに押さえられそうになったわ、
そのときいきなり前に井戸があってその中に落ちてしまったわ、
もうどうしてもあがられないでさそりは溺れはじめたのよ。
そのときさそりはこう云ってお祈りしたというの、
 ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、
そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。
それでもとうとうこんなになってしまった。
ああなんにもあてにならない。
どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉れてやらなかったろう。
そしたらいたちも一日生きのびたろうに。
どうか神さま。私の心をごらん下さい。
こんなにむなしく命をすてずどうかこの次には
まことのみんなのさいわいのために私のからだをおつかい下さい。
って云ったというの。
そしたらいつか蝎はじぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって
燃えてよるのやみを照らしているのを見たって。
いまでも燃えてるってお父さん仰っしゃったわ。
ほんとうにあの火それだわ。」

宮沢賢治「銀河鉄道の夜」より



**


このさそりのお話は、
宮沢賢治が描くテーマのなかでも私の心にひどく強く残っているエピソードです。

写真はさそりの祈りのすがたを映したブローチ。
14日からの企画展「双子の星」に出展します。



点滴堂企画展『双子の星』
 2月14日(水)-25日(日) 12:30-21:00 ※月・火定休
会場/点滴堂
 東京都武蔵野市 中町 1−10−3 2階
 tel.090-6796-5281
 三鷹駅北口より徒歩5分

**

「点滴堂」は、ギャラリースペースのあるブックカフェ。

三鷹駅 北口 歩いて5分のちいさなお店です。

書棚の古本や 作品の展示とあわせておいしい珈琲をどうぞ♪



お買い物だけでも◎ 喫茶ご利用だけでも歓迎です♪

どうぞお気軽にお立ち寄りください☆

点滴堂公式サイトより)

**


2018.02.07 Wednesday

振動

 



今日は波に運ばれて春の気配を感じました。



大変な境遇に遭ったり
ひどく心が落ち着かない状況に遭った時、
その場の振動はとても荒いものになっています。

日常の、心地よくお掃除をしたり
今回のような展示の在廊をしたりしているときは、
細やかな振動の場が作られています。

ある特定の神社の境内やそれにたずさわる神職さんが
自らのお役目をお勤めになっているとき、
その場は超微振動となっています。

いとも簡単に人は振動の影響をうけます。
荒い振動の中にいたときはそれが周囲に伝播し、
自分もその振動の影響をうけ連鎖してゆきます。
逆もまた然りで細やかな振動にふれると、自分もその微振動の影響をうけます。

振動ということがわかっていれば
その荒くなってしまったものを調えるのはいともたやすいことなのかもしれません。

以前、京都の気功の学校で学んでいたときの話ですが、
私の胃の調子が非常に悪かった日があって、
言い方を換えると、
私がその時影響されていた振動が荒くなっていたのでしょう。
それにぱっと気づいた先生が、さっと、私の胃を調えてくれました。
言い換えると、
先生が居る場の持つ細やかな振動に合わせ調えてくれた。
気功の学校の学びが心地よかったのは、
細やかな振動が伝播し、自分もその振動の影響を受け
細やかな振動に調整されたから、という言い方もできるかもしれません。
細やかな振動は心身の傷を癒し、免疫力を高めると体感しています。

よくマッサージ師などが、患者さんを診ているうちに
自分まで体調が悪くなる、という話を聞きます。
具合の悪い人が影響を受けている荒い振動にマッサージ師が影響受けて
自分まで荒い振動になってしまったという事だと理解できます。
振動、ということがわかっていたら、
自らを微振動に整えて、その微振動に相手が調っていく、ということが本当なのでしょう。



繰り返しになりますが、
振動ということがわかっていれば
その荒くなってしまったものを整えるのはいともたやすいことかもしれません。
自らを細やかな振動に戻し調えるのは、自然の力を借りればよいのだから。
そもそも人間は自然そのもの。

海の波のそばに居るだけで良かったり、
森の中を歩くだけで良かったり、
富士山の気を浴びるだけでも心身が自然に細やかな振動へと調ってゆくのが分かる。

知識や薬がいかに見当違いなアプローチをしているのかがよくわかります。
かえって振動を荒くしてしまっている。


人はいとも容易く振動の影響を受ける。
人はこの大自然そのもの、
大地の子供だとの素直な実感があれば
心身を戻し調えるのは本当にたやすいことです。



伊勢神宮の御饌に使われる土器をつくっている場所を土器調整所といいます。
土にも振動があり、知識や技術ではなく素直に食に添うものとして自然に添い
的確に調整されたものであるべきなのでしょう。
「工房」ではなく、「調整所」という言葉を使う所以がいまではよくわかる気がします。
(写真はその調整所でつくられた土器をお分け頂いたもの。)






2017.12.24 Sunday

祈り

 
幼いころから信者でもないのだけれど好んで教会に通っていたせいか
そしてスペインの田舎の村でツリーもリースもサンタもいない
土着のクリスマスを過ごした経験があるからか
クリスマスというと、どうしてもどこかしらイエスのパッション(受難)に続く道を思ってしまう。

イエスが救い主であるということがどういうことか。
たったひとりでいつも祈っている祈り人。

友人の古神道の修道士が
『天皇陛下はたった一人で毎日祈っているんだよ。』
と言っていたことをも思い出す。

祈るということ。

十字架に打ち付けられながらイエスは言う。
『主よ、彼らをおゆるしください。自分が何をしているのか、知らないのです。』


古神道に曰く、
知らないで犯した罪と
知っていて犯した罪では
知らないで犯した罪の方が重い。
知っていれば加減をするが
知らなければ加減がない。
人生に於いて学んでこなかった分、その罪は重い。


彼らとは自分である。
自分とは世界である。

そしてあとは感謝の祈り。



2017.10.22 Sunday

調う

 
ある人から尋ねられました。
『なぜ日本人は、特に誰からも教わっていないのに
全般的に細かい作業ができたり、
それをこなす我慢強さを持っていたりするのかな?どう思いますか?』と。

こう聞かれてぱっと頭に浮かんだのは、
スペインの工房の親方が
日本からやってくる友人達が工房で体験絵付けで描いたお皿たちを見て
それらがことごとく上手なことに驚きながら、
『日本人は、日常的に漢字を書いてるから絵がうまいんだな。』
と言っていたこと。

スペインの人たちから見れば、
表意文字である漢字は絵にしか見えないのだそうだ。

今日おぼえがきに書こうと思っているお話は、
こんなやりとりが、とっかかりだったのかもしれません。。

*

最初の質問について、
最近になって、明確な答えを自分の中に見つけてしまいました。

それは「波動」。

科学者でもないのに波動なんていうと何やら怪しげなものを感じたりするので
長いことスルーしてしまってきたけれど、どうしても無視できなくなってしまった。

ここ1週間近く私の全身に、
細胞レベルと言っていいほどのたいへん細かい微振動を感じるのです。


陰陽師の旧シリーズの中で安倍晴明が、
清明が持つ繊細な微振動が人の傷を癒やす、、
という旨の表現が出てきたと記憶しているのだけれど
それを今更になって思い出している。

京都の気功の学校に通っていた一年間は、授業の終わるたびに、
自分の体の全細胞がリーンリーンと響き合うような心地よい感覚を感じていた。


あの時のリーンリーンと響き合う細胞の心地よい振動、
細胞レベルでの微振動が、
急にこの10月になって、
何もしていないのに、自分の体に起きている。
それが今現在も続いています。

この細かな振動で体が癒やされているのがよくわかるので
とても心地が良いし、体も暖かです。

でもこれはなんだろう?
微振動・・・波動、という言葉がふっと頭に浮かんだ。



繊細な美術品や
薬品におかされていない食物は波動が高い。
ひとつひとつの細胞が粒だっていて美しい。

折り目正しい丁寧な行動や
美しい言葉づかいも高い波動を放つ。

そしてそれに触れることで、人の心身も共鳴する。
だから人は、おのずと波動の高いものに魅かれる。
癒やされ、心地よく感じる。


雅楽奏者の方が、
音の良くない笛を目の前において
その笛に向かって名器と言われる笛を吹いてあげると、
音の悪い笛の音が明らかに良い音に変わっている、という。

人も同じではないか。

この今の自分の体感とともに、
波動という言葉を用いれば明確に言葉で説明できるのだ、とわかってしまった。

*

だから最初の質問に答えるとすれば、
「昔ながらの日本人」は、総じて波動が高い民族なのかもしれない。
と、今の私は答えると思う。

折り目正しく丁寧に物事をさせるのは高い波動。
波動を繊細に高めるすべを、古来、日本人はたくさんもっています。

ちょうど先日、武道をされてる友人と話していて、
その友人曰く、

『ほんとうに強い人はきれいな言葉遣いするんだよね。
道場でもほんとうに強い人は礼儀正しく、
エラそうにしてる人はたいしたことないの。』

言葉遣い、ものの扱い方から、その人物の波動が読めます。
そうして自分の居場所をまず決めればいい。

繊細な波動を持つものに触れると癒やされ、調う。
この認識は心身に関する全ての健康に通じるとわかります。
いろいろな言い方・表し方があると思うけれど、本物はみな同じことを言っている。



10月にはいって関東にずっと続くこの雨は
滞り乱れてしまったものを癒しているのかもしれない。
ちょうど極寒の雨の日から始まった私の全身の細胞のこの心地よい微振動は
この天候と共鳴しているように感じます。


2017.10.09 Monday

自然の循環とのかい離

 


お膳立ててどうのこうのというまえに、
地球から発したものはきちんと地球に還してやって処理しましょう。
最初から、地球への帰還〜いらなくなったものの処理、を含めての研究、調査でありましょう。
電子レンジから原発そして宇宙に出てまで科学のすることは今や病的で稚拙。
科学も本来は神に近づくための手段だったのに、どこかで勘違い。

2011年の原発事故の直後にある学者が
「原発なんて同じ原理なんだから太陽に捨てればいい。」と言った言葉にぞっとした。

もうこれ以上地球を恥ずかしい星にしないでほしい。

(「地球から外のことを考えるな」という古い神道の戒めは
実は時空を超えて現代の科学者に対するものだったのかも。。)



2017.09.13 Wednesday

あたりまえのことをあたりまえとして



今朝、友人から、
「シャンプーや洗剤の臭いで体調を崩す人が増えていて、
それを化学物質過敏症という。」という話をラジオで話していた
という話題がメールで来ました。

その番組では
「そういう人はクリニックに行ってください。」と締めくくっていたという。

友人曰く、
違うでしょ「ケミカルな添加物を減らしましょう。」でしょう。
その番組に疑問を持った、と。

同感です。



畑の農薬も、食品添加物も、
結局そういった薬品をつくっている会社を儲からせるために使っている。
本来いらないもの。

だいぶん前、シリコン入りシャンプーが大流行した時に、
「私はシリコンは髪質にあってるみたいで問題ない。」と言っていた知人は、
いまは髪がやせ細ってしまい、見るからにバサバサになってしまって悩んでいる。
シリコン入りシャンプーのデメリットが一般に広まるようになった今、
こんどは「ノンシリコン」と銘打ったシャンプーが売れるようになる。。

髪の毛は目に見えるけれど、
内臓は見えないから、無頓着になってしまうのでしょうか。

私も合成の香料で体調を崩します。
合成洗剤で洗ったシーツでは臭いが刺さるようにきつくて眠れないですし、
他人が合成シャンプーの臭いをぷんぷんさせている場に居なければならないのも苦痛です。

こういう状況を、病院で治せ、という発想が恐ろしい。

ちなみにどんな治療をされるのか、と思って調べてみたら、
具体的な治療というよりも、
ストレスのない生活をすること、
無添加の食品を食べるようにすること、
などなど。

なあんだ。
これって医者が個人に課することではなく、
ストレスのない社会にすること、
無添加の食品が一般的になるような流通にすること、
という意識が、医者を含めてこの国全体の中にもなければ。。。
。。。というところも大事でしょう。ほんとは。

家の近所のオーガニック系カフェのお姉さんは、
『普通の農家なんて、ぜんぜんオーガニックとか考えてないから!』と断言。
実際、オーガニック農法をしようとして、
いわゆる一般的な農薬や化学肥料を使っている農法の農家さんから妨害、
いじめをされたという話も知り合いから具体的に聞きます。

農薬や化学肥料を使った原材料にまた薬品添加物を入れる、
なんてことが日本では日常の中に浸透してしまっています。
それが大きな会社には利益になるから。



去年6月に人生初のひどい体調崩しをしたことを少し前のブログに書きましたが、
あの翌月、展示でスペインに行くことになっていて
行く前は、かなり体調を心配していました。

しかしながら、スペインの食事はまともだった。
窯元の田舎の町という事もあって、
産みたての卵、
さっき畑でとってきた自家農園の野菜や果物、
夜中の12時からパン粉をこねて発酵させ、ちょうど朝に焼きあがったばかりの素朴なパン、
ジュースみたいにそのまま飲める新鮮なオリーブオイル、
添加物の一切無い生ハムやチーズ。。

こういう当たり前の食事ですごした3週間のスペイン滞在。
すっかり私の体は元気ぴちぴちになりました。
やはり食は体そのもの。

驚いたのは帰国後、
外食をしたときの油の重さ。味の希薄さ。
一口であれこんなに不味かったっけ?と思い、そして食後の胃の鈍痛。
幾度か訪れておいしいと思っていたイタリアンレストランでしたが、
もう行くことはないでしょう。

人の体は添加物を摂取していても、
完全オーガニック食で1週間過ごすと、
体内の添加物薬品がほとんど抜けている、というデータがあるようです。
そのくらい体の浄化力が強いと。
常にどこか具合が悪い、重い、というのであれば
まず食べ物を疑うのが道理です。
医者に行ったり薬を飲むのではなく、
いわば食そのものが人にとってのほんとうの薬です。



体調が悪く回復途中の状態でスペインに行っていたことを、
帰国後に会った友人が心配してくれていたので、
『スペインの食のおかげですっかり元気になった』と、
上記したように詳しく話したら、
『そうなんだ。スペイン人が食材に気を使ってるイメージないのにね〜。』と言う。
私は、「どういう意味だろう?」と、
友人の言ってる意味がよく呑み込めず答えあぐねていると
もう一度
『スペイン人が食に気を使ってるイメージないよね。』と重ねて言う。

あとでよくよく考えてみたら、
そもそもスペイン人は、あたりまえのものをあたりまえに食べているだけであって、
別に何にも「気をつかって」などいない。
私が滞在していたスペインの町には当たり前の食べ物しかないから。

それだけ日本人が、添加物だらけの中に居て、
あたりまえのものすら気を使わないと食べられなくなっているのだ、
日本ではあたりまえのことがもはやあたりまえと感じられなくなっているのだ
と、その友人の発言から思いあたり、なんともショックでした。

もしかしたら化学物質過敏症などというものはなくて、
日本の「普通」といわれる多くの人の感覚機能・排出機能が、
摂取し続ける薬品により昔よりも鈍ってしまって居るだけなのかもしれません。



去年スペインから帰ってくるとき飛行機の窓から。




2017.08.24 Thursday

学ぶ

 
最新の世界の平均寿命がWHOで発表されたのを見ましたが、
気になるスペインと日本。
平均寿命ほとんど変わらないんですね。

スペイン人の知り合いのなかで、
大人がわざわざ健康診断など受けたという話は聞いたことがありません。
友人の子供たちを見ていると幼児の検診はあるみたいですが、
(友人の子の3歳児検診について行ったことがあります。)
大人が自覚症状が何もないのに健康な時にわざわざ検査のために(健康診断含む)
病院にはいきませんし、予防接種の話も聞いたことがありません。

国が何に視点を向けて何に重きを置いているか、
何で利益を得ようとしているか、
それによって国民教育も異なってくるのだなあと感じました。
スペインなどに比べると。
日本は医療依存になるような教育がかなり徹底しているように見えます。

ちなみにスペインの公立病院での医療費は
風邪だろうと癌だろうと100%保険でまかなわれますので
病院でお金を払う、というシステムはありません。
そしてまた日本よりはるかに自然治癒力を意識的に取り入れている医者が多いです。
やたらと薬を出されたり、余計な治療をされないというのは安心感があります。



最近みつけて、興味を持って読んでいるブログがあるのですが、
(いそちゃん日記 http://organic-ya.com/isoji
『身体は食べ物で作られているのだから、薬で治るわけがない。』
という内容が書かれていて、そりゃそうだよね。と共感然り。
癌も風邪も同じシステムの浄化作用なのだから
そもそもカテゴライズして病名を付ける必要もない。
風邪も癌もそれ自体が体が行っている治癒なのだから叩く必要もないという発想も
気功と全くおんなじで、よくわかる。

間違った化学療法で、体の自然治癒力(浄化)をさまたげ、
自然界にない不自然な薬で更に血液や体液を汚し身体の負担を増やしている。
『どうしたって体は治る方向にしか行かないわけで、
その全勢力でもって治癒している自分の体の、最低限邪魔をしないという事が大事』
とは、私が学んだ京都の気功の学校の先生が言っていた言葉。
もっと自分の体を信じてよいのだと思います。
もっと個人個人が自分の体の声を聞くべきです。

現代医療の歴史を見れば、いまの治療がいかに危ういものかがよくわかります。
一番よく治るから、という理由でその治療法があるのではなく、
●●先生の派閥が強いから、ほんとうは○○先生の結果の方が良いのだけど、
最終的に●●先生の治療法が主流になりました、と。こんな具合。
癌治療の歴史などの本を見ているとこんな流れが見えてきます。
ものすごく人為的な派閥の、狭い中で現代医療の治療法というものは
確立されているのですね。

今現在でいえば、子宮頸がんの予防接種然り。
少し前に騒がれた小保方さんの一件も然りです。(と私は思います)


生命に直接かかわるようなもっとも大切なことを
人任せにしてしまうなんて、怖いことです。
おかしな利益に流され、
おかしなシステムに流された感のある、特に今の日本の医療について
ひとりひとりがよく考えることが大事です。
身体は自然から預かっているものですから、
「自然か不自然か」というのが一番大切な目安になります。

重篤で入院し、奇跡の生還をした友人が曰く、
『結局病院は根本的に治すということは何もしてなくて(できなくて)、
自分の体が治すだけだということがよく分かった。』
針一本を体に刺すということがいかに大きな体の負担になるかということで
その病院ではどんなに痛くとも痛み止めの注射などされなかった、とのこと。
ちゃんと体の治癒力を妨げない、よい病院でよい担当医でしたね。
ケミカルで余計な事をされなくてよかった。



もっと私的で日常的な話にします。

先日、都内に一日出て帰ってきたとき、
髪がタールみたいなものでもかぶったかのように不自然なべたつきがあり、
(都内にでると、髪がそういう風になることが多いです)
そんなときは、いつもは使わないシャンプーを100倍くらいに薄めて洗うのですが、
その日はたまたまそのシャンプーが切れていたので、
風呂場にあった家族用シャンプーを100倍に薄めて使いました。

そうしたらびっくり。
髪がもっとべとべとに。異常です。
タールを塗った以上のべとべと感にびっくりです。
べとべとのなかに水分が包まれていて、髪がいつまでたっても乾かない。
そして、合成香料のくどい香り。。気持ちが悪い。

何度も何度もお湯で洗い流しましたが匂いもべとべとも落ちません。
合成香料の香りは翌日になっても取れませんでした。
また翌日は髪の毛もごぞっと沢山抜けました。。なんだか怖い。


いまは基本的に普段髪の毛はお湯で洗っていて、
週に1回くらいヘナとシカカイという植物を挽いた粉で洗うのですが、
昔、それまでの合成シャンプーをやめてお湯洗に切り替えた始めたばかりの頃は、
髪が異常にべたついて仕方ありませんでした。
このべたつきは今まで使ってきた合成シャンプーの蓄積の仕業だという事を思い、
そこでめげずに頑張って5年ほどかけて、やっと完全にシャンプーの毒が抜けたところで、
お湯だけで洗っても問題のない髪になりました。べとべとにもぱさぱさにもならず、
ちょうどいい感じに気持ちよくなってくれるようになりました。

シャンプーの毒が抜けて、やっと元に戻ってくれたと思った矢先、今回の失態。
馬鹿なことをしました。
これまでの5年間でやっと自然にもどした髪が、
たった1回の、しかも100倍に薄めた合成シャンプーで
一瞬にして台無しになりました。
髪がごっそり抜けるって相当な毒ではないですか?
しかも100倍に薄めたものなのに。

化学物質による自然破壊の図ってこういうことなのかもしれない。

自然界でシンプルに循環していたものを、
人工的・科学的なものが、まるで暴力を振るうようにしてその循環を
めちゃくちゃにこわしてしまう。
洗髪も
病気の治療も
自然破壊も
全部同じこと。

これからまた5年かけてもいいので、お湯だけで洗える髪にもどします。
今回たった1回だけのケミカルシャンプーの使用による破壊だったので、
5年よりもっと早く戻ってくれることを正直期待していますが、
しかし、壊されるときは一瞬で、自然に戻るときって、ゆっくりで時間がかかるものです。

シャンプーの仕方ひとつとっても
それはその人の生き方で、
いろいろ痛い目にあってようやく本当に学びます。。


2017.07.05 Wednesday

作風

ときどき、
『これもMAJOさんが作ったの?』と
なかば驚かれることもあるのだけれど、
何処かから私の元へ、
顕してほしい、とやって来たものを
できるだけ自然にそのまま顕しているので
そこに私の意志ははたらいてないから、ということと、
あとは、今までつくり出してきたものに対して私の中にこだわりとか執着がないからでしょう。


2017.06.20 Tuesday

繊細な大地から


昨日の夕方いつものように浜辺を歩いていたら
なにかいつもとは違う力を大地から感じた。
ただただ歩いているだけでみるみる体が緩んでいく。
あまりに心地が良いのでどんどん歩く。
明日も来よう。
浜辺を歩きたい、と自然に思った。

なぜこんなに大地からうけとる力のようなものが心地よいのだろう。
なにかあるのかなあ。
夏至がちかづいているからかなあ。
古代の人が、夏至のような特別な節々を
重要だととらえていた感覚の鋭さを改めて思ったりしていた。

毎日自然に沿って同じ行動を繰り返していることで
目に見えない自然の変化にきがつく。
これは都会ではなかなか得られづらい感覚ではないかとも思った。


私は今までの人生のほとんどを東京で過ごしていたけれど、
かなり多くのことに対してシャットアウトしたり
ガードしたり、見過ごしていた、ということに最近気づく。
こうやって感覚を鈍くしなければ、毎日地下鉄にすら乗れないような場所だったから。

いまはここに越してきて、
自分を自然のなかに活かす方法が分かってきている。
山や海が、天や大地が毎日教えてくれる。


実験で、オーガニックの野菜を1週間食べ続けると、
体の中の科学毒素がほとんど抜けていた、という結果があるらしい。
ことの真実の詳細は私にはわからないけれど、
ただいえるのは、
どんなに疲弊した都会の中で生活していても、
人間は自然環境の中に置かれると、
いとも簡単に還ることができる、ということ。
人間はすべて、本来自然に属す生き物だから。
この大地の子供だから。

気功をしていると、
ケミカルな病院で重病と診断されていた人が、
状態がよくなっていくというのを目の当たりにするけれど、
これも同じ原理ではないかと感じている。
自然のなかに循環している気を流して
体を本来の自然の一部に戻すようにうながせば、
そのように体はひとりでに戻ってゆく。
自分の体が自分で勝手に自然の中に戻っていく。
自然の力の前では、
いかに最前線といわれようともケミカルな治療が
いかに雑で稚拙なものかがよくわかる。

気功もそうだけど自然の循環の中に体を還すことで重要なのは、
こうすれば治るとか、誰かに治してもらう、という依存心を完全になくすことと、
理論や経験値・固定概念をすべて捨てて、
ただただ赤ちゃんのように自然の中にいられること。
大人になるとこれがなかなか難しいという場合は、
ひとつのコツとして「数を数えるのをやめる」といいと思う。
とにかく時間を計ったり、数を数えるのをやめる、というのが、
エンドレスな都会的悪循環から抜けだし、自然に還る手段のひとつになる。


2017.04.29 Saturday

ノアの方舟

 
「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、
代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。
すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。
これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。

わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、
わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、
すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。
水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。

雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、
神と地上のすべての生き物、
すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。」
(旧約聖書 創世記)


神が約束を立てたものを、
人の側が忘れてしまってはいけませんね。
(忘れられた約束はどうなるのでしょう。)

今日東京で見事な虹が出ていたそうです。
都心に七色の光「虹」あらわれる
(日本気象協会 tenki.jpサイトより)

今、この現代の私には、
神が「このときの約束を思い出せ」と人々に示しているかのように見えました。

美しい虹の姿にハッとさせられて、
直感を鋭く、を一番に、日常を過ごしたいと改めて思いました。






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