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2018.08.26 Sunday

良い空気?

  
最近はロクロ仕事中のBGMに、
ラジオの「夏休み子供科学電話相談室」を聞いています。

ある日こんな質問がありました。

子供
『良い空気と悪い空気があるのはなぜですか?』

質問された先生が言います。
『きみは、どういうのが良い空気だと思う?』

子供
『エアコンの空気。』

先生
『じゃあ、悪い空気は?』

子供
『避難訓練の時の空気。』

まだこの地上に生まれてまもない小さな子供は、最も自然に近い存在だった。
こういう環境の子供ばかりではないとは思うけれども、
この質問を聞いていたら子供の老化が急速に進んでいるように感じてしまった。



本やネットで調べた事に疑問を持って質問するのもいいけれど、
『山や海で実際に体験してくれたことから質問をしてくれることが
素晴らしいと思いました。』と言われた、
この「夏休み子供科学電話相談室」のある先生の言葉。

そしてさらに、一人の子供が先生に質答えてもらった後で、
『次は自分も人に説明ができるようになりたい。』と言っていたことに
感動された先生。

「夏休み子供科学電話相談室」、色々な意味であなどれません。


2018.08.06 Monday

メモ

***** 

「癒し」というスローガンの多さにもかかわらず、
「過労死」が社会問題となる国に、本当の癒しはありません。
海外旅行に興味を持たない若者には「夢」もなく、
英語能力は世界の平均的水準にも達していない。
このような状況は決して「国際的」とは言えません。
ピカピカの土木工事を最優先して、
国土中の山、川、湿地帯、海岸がコンクリートに覆われてしまう国には
「エコ」も「自然」も「環境」もない。
地方に行くと必ずハコモノの「○○文化会館」があります。
近辺の自然が粗末に扱われ、
歴史的町並みが壊されて、
唯一残った「文化会館」が、
その地域には文化がないということを証明しています。

「ニッポン景観論」アレックス・カー著

*****



2018.04.19 Thursday

葉山と深山

 
うちの近くに葉山があります。
正確には、葉山町があります、と言うべきでしょう。
葉山町には「葉山」という名前の山はありませんから。

それではなぜ葉山と呼ばれているのだろう?と以前より疑問に思って居ました。
町の人に聞いても『青々とした葉が茂る山なみだから。』というような答えが返ってきます。
それもそうかもしれませんが何となくこの疑問は心のどこかにずっと引っかかっていました。


先日調べ物をしていたら、山伏の方が書かれているある記事に出会いました。

「僕たちと山 #01仙元山」
http://mag.onyourmark.jp/2012/07/yama01/31432


大変興味深い内容でした。

葉山も羽山も人の集落の端にある山の事を指し、
幽界と顕界の際(きわ)にある山をハヤマだという。
そして魂となったものは、ハヤマから深山(ミヤマ)へと入ってゆくのだという。

葉山と深山。
地元の
森戸神社森山神社は対になっているのではないかと感じていたのですが、
名称からも立地からも、葉山・深山と同じ役割を持っているのではないかと思われました。

上記山伏さんの記事では死者のことが描かれていますが、
”頭に恵那(胎盤)を乗せて山から下りる”という古神道からの話を合わせ思うと、
生死は一体となっており、
ハヤマは顕界に最も近い胎内・生まれ変わりへと誘う場所なのかもしれません。


何年か前にお誘いをいただき、
鎌倉宮にて雄勝法印神楽を目の当たりにしたことがありました。

2011年の震災にて宮城県で被災された漁師の方たちが代々受け継ぐこの神楽。
震災時には、何よりもまず神楽の衣装を救い出そうとした、というお話もありました。
自らの家や、大切な人々をなくしても、神楽は残りました。
雄勝法印神楽は、
私がそれまでに目にしたことのあるどの神楽とも異なり、
非常に強い振動を持ち働きかけてくるので、
見ているだけで我を忘れて呆然とし、ただただ感覚だけになってしまったようでした。

もともと、この雄勝法印神楽は、
宮城県雄勝町の葉山神社にて奉納されているもので、
2011年の震災により葉山神社が復興するまでの間、
鎌倉宮にて奉納されていたものでした。
(このお神楽の事を教えてくださった方には本当に感謝しています。
そしてその後、雄勝町の葉山神社は大変ありがたいことに復興を遂げました。)

鎌倉宮は大変微妙な(絶妙な)場に建っており、
まさにこの世とあの世の際に在る、とお聞きしたことがあります。
鎌倉はそういった場所が多いとも聞きますが、
ここはなおかつ清浄に祓い清められている、ということが重要なポイントでしょう。
今回、葉山と深山の記事を拝読して、
宮城県の葉山神社が復興するまでの間、なぜ雄勝法印神楽が宮城県から遠い鎌倉宮で奉納されていたのか、
山伏さんの記事から理解できたように感じています。
現在も開かれている(もしくは開かれる一時がある)清らかな幽顕のキワであるということが大切なのでしょう。

そしてこの神楽を舞うのが漁師である、ということも非常に興味深いことです。
古神道に曰く、漁というのはそのお役目を担った方のおつとめであり、
いまのように一般人誰でもが釣りなどをするのは障りなる、と。

つまり人が漁に出るような海域も、
この界とあちらの界とのキワである、ということでしょう。
意識無意識にかかわらず心身の準備ができているものだけに許されるのが漁であり、
誰もが足を踏み入れてよい場所ではなかったはずでした。
「山は人の界に最も近い胎内なのかもしれません。」と書きましたが、海もまた然り。

縄文時代以前からの習慣や文化が時代を経てその時々に姿を変えながらも、
今現在もどこかに残され、脈々と伝えられているのだとしたらすごいことです。
目に見えるものも見えないものも「結び」の核心に触れることの本質は決してなくならないのかもしれません。
そして、
失くしてはならない、という畏れの気持ちが人にある限り、
それはある必要な瞬間に、目の前に顕れることでしょう。


2018.03.30 Friday

『環』

 
今月の初めに、
書家の友人が毎年出している
上野の森美術館での「亀甲展」へ行きました。

その友人の解説により、亀甲文字・金文字の面白さを
いつもほんのひとかじり味わわせてもらっているのですが、
今回、目に留まったのは『環』の字。(写真は同展にて前山麗朱さんの作品)



『環』という文字の解説がこのように付いていました。

”死者が生き還ることを願う、儀礼のときに使う玉(ぎょく)。”

『還』と『環』はもとは同意語だったのかもしれません。
『無』は『舞』と本来同じ意味だったというお話も以前お聞きしました。
金文字に触れるとハッと世界が広がります。


現在、逗子アートギャラリーで参加させていただいている
グループ展のタイトルは『春の環』といいます。

生き還り・蘇りの季節を春とする民族文化は、
日本はもとより世界各地に多くあります。
(そういえば現在スペインで真っ只中の『セマナ・サンタ』は
キリストの受難と復活を辿る、これも春の神事でした!)

亀甲展にて『環』の語源を知り、
『春の環』というタイトルについて更に深く考えてみたくなるような、
偶然とはいえずいぶんとタイムリーなできごとでした。


ギャラリー企画7名展
『春の環』

3月28日(水) - 4月9日(月)
11:00-17:00 火曜定休

会場/逗子アートギャラリー 
   神奈川県逗子市逗子5-11-31 電話090-1652-9046






2018.01.28 Sunday

お客さんのお話から。


そのかたはメダカをたくさん飼われていて。
水槽の中でたくさん生まれてくるちびメダカたちの中に
奇形の子がいたそうな。

頭から下はくちゃっとした子。

泳ぐこともできなくて
いつもお腹を上向きにして
じっとしている。

じっとしてあまりに動かないと、
死んだ?
と思って
あわてて水槽を揺らす。

するとようやく身動きするので、
あぁ、生きてる生きてる。

でもその子、目はきれい。

どの子よりもいちばん
目はきれい。



2018.01.24 Wednesday

岩間清水

 
白き雌鹿の ほそき肢
岩間清水に 映りけり

若き猟人の 忍び足
岩間清水に 映りけり

岩間清水は 真紅(くれない)の
血潮の色に 変わりけり

森の乙女の 晢(しろ)き趾(あし)
岩間清水を 幾めぐり

嘆きはふかし 射られしは
乙女が愛せし 鹿にして

若き猟人は 弓と箭(や)を
岩間清水に 投じたり

岩間清水を 中にして
二人は佇(た)てり いつまでも

清らに澄みて 静かなる
岩間清水に 泛(うか)ぶ星

森の夜更けを 舞ひ出でて
鳴く梟も 知らずして

二人は佇てり いつまでも
二人は佇てり いつまでも


(蕗谷 虹兒、1898年-1979年)


2017.11.08 Wednesday

鯨虎さんに会いに

 
浦和のギャラリー楽風さんにて個展開催最中の
鯨虎(いさなこ)じょうさんとその作品たちに会いにゆきました。




今年初めの四谷のホテルニューオータニで開催された現代日本の工芸市で知り合ったじょうさん。
言葉少なく、それでもじゅうぶん内面に豊かなものをお持ちなのが伝わってくる
とても印象的なかたでした。



今年の秋の初めに丁寧なお手紙を頂き、個展を開催されるとのこと。
楽風さんはとても素敵な空間で、私も少しだけお世話になったことがあり
ぜひうかがいたいと、
ちょうど浦和で作陶としている友人をお誘いして、
嬉しくじょうさんの個展へと出かけさせていただきました。



ニューオータニの展示でもそうでしたが、
どこか海を感じさせる作品群。。



今回も明確にそうとは何も記されていないのに、やはり海を感じます。
その旨をじょうさんにお伝えしてみると
『いつもなにか海を感じるんです。』と。

大海原に愛されている海のかたなのですね。



作品たちは土成り釉成りを活かす配慮が心得られていて何もむりがなく
自然のままに生まれ流れて
楽風さんの、古木と土壁のまるで宇宙のような空間に、
ただただ心地よさをうみだしていました。



海外でのご活躍も視野に向けて始められているとのこと。
呼吸のしやすいご自身らしいすてきな場所を見つけられて、
また次の展示を楽しみにさせていただきたい*と心から思っています。


鯨虎じょうさんホームページ
https://www.jouisanako.com/



***

追記。
ギャラリー楽風さんの近くに、
浦和の地元の方に愛される古い調神社(つきじんじゃ)があって、
今回で4度目のお参りだったのですが、
そこの由来などを改めてみてみると、
かつてこのあたり一帯は海だった、とのことでした。

じょうさんの作品たち、土地に呼ばれてやってきたのかな。
最近、作品は不思議なのりものだな、とも思います。
作品がいろいろなところへ連れて行ってくれる。
日本各地へ、スペインへ。。そうしてその土地と人と繋いでくれるのです。
そしてものづくりは、直感を活かしたそういう顕れ方がほんとうなのかもしれません。

調神社につきましては、また次回のおぼえがきに。





2017.10.15 Sunday

パンと陶芸


パン作りと陶芸はにているところがあるなあ、、
と以前にも書いたことがあるかもしれませんが。

10年近く前から自分でパンを焼くようになり、
いまは、果物から起こした酵母で
自分の朝昼ごはん用にたいてい全粒粉のパンを焼いています。

自分で焼くパンに何も疑問なく主食となっているのですが、
ちょっと興味深いブログを見つけて読み込んでしまいました。

ベーカリアドバイザーの部屋
http://sizuasa.blog44.fc2.com/


私が日々感じ取っている陶芸にものすごく重なることが書かれています。

専門家の立場から
「パンをただの商品としか扱えないパン製造業者はすぐに辞めてほしい」と。

また、昨日私のおぼえがきに書いたような、
土の乾燥具合をみる、というのは
パンの場合、発酵具合を見る、と言い換えられるでしょう。

やはりパンも生き物。
そもそも大量生産には向いていないのだという事がよくわかります。
大量につくるには、それにふさわしい人員数と技術経験と環境が必要であって。
それをクリアしたうえでならたくさんのパンを作って売ることもできる。
しかしそれができていないところが意外と多いのだ、ということも具体的にわかりました。

またパンをつくっている人の念がパン生地込められる、というのも否定できない。
それくらい職場環境を真剣に改善してゆくことが大切なのだ、と。。

どれも陶芸に共通して私も経験上、うなづけるお話がかなり多い。


また、これも私が経験あるのですが、
技術的なことをすごく簡単にメールなどで聞いてくる人のこと。。。

パン教室で習えることには限界があるという事。

お金がないから、と、ネットから質問してきて、
安易に済ませようとする態度。
すでにご質問してくる方の本気度が伺えます。
『まずは現場で10年勤めてみてください。』という
ベーカリーアドバイザーさんのお答えは秀逸。


2017.09.14 Thursday

最初の展覧会


そういえば、人生で初めて見た展覧会というものは、
親に連れられての都内デパートで開催していた岡本太郎展だった。
私はまだ幼稚園か小学生低学年くらいだったと思う。
物見遊山的にご近所ともども子連れで訪れたのでした。

極彩色に彩られた岡本太郎の作品たちは、
タイトルに「犬」とあっても、犬に見えない。

『わあ!なにこれ〜』
『めちゃくちゃだあ〜!』

そんな風に思うまま声に出す子供たちに親たちもほとほと困り、
そうそうに会場を立ち去った、という記憶。



長じて美術にかかわるようになり、
岡本太郎の作品はどうしても好きとは言えない部類のものでした。

ところが1冊の本が、私の岡本太郎の印象を変えました。

美大を出てから務めていた陶芸の工房へ片道2時間半、
往復で5時間かけて毎日通っていた時代、
電車の中でたっぷりとある時間を使って片端から本を読みまくっていました。

読みたい本を読みつくしたそのあとは、通勤途中の本屋の棚から次々と本を買い、
または図書館でかりまくって、読みまくりました。
その中の1冊に、岡本太郎の「青春ピカソ 」がありました。
初めて読んだ岡本太郎の本です。

岡本太郎の作風はなんとなくピカソを思わせるものがあるなあ、というところも
それまで氏の作品があまり好きではなかった理由なのですが、
(私はピカソの作品も人物も好きではないので)
しかし氏の書かれる本の中には、
その作品からは想像もできないほどの
岡本太郎ご本人のチャーミングなお人柄がうかがえました。
その一方で、ご本人自身と作品が何か、かい離しているようにも感じられました。

著作「青春ピカソ」では、
直接ピカソに会いに行く経緯と心情が描かれているのですが、
ピカソと対決するぞ!
これは対決なのだ!という気分の文面で書かれているにもかかわらず
隠しきれない「ピカソ大好き!!」というあふれんばかりのピカソへの愛を感じました。
なんだかかわいらしい人だなあ、、、というのが、
岡本太郎へ対する新しい私の印象になりました。

そのあと、作品ではなく岡本太郎という「人物」に興味を持ち、
著作を読んでみると、この方の書かれる書物はやはり興味深く面白い。
岡本太郎は、作品より、「本人」を、ほんとうは見るべきだったんだと気づかされました。

私が読んだなかでも「岡本太郎の東北」は特筆すべき内容でした。
私が日本の文化に深い興味を持つきっかけになりました。
そういえば岡本太郎は若いころに、フランスで活動していた時期があり、
そのままフランスにとどまるチャンスを押して日本へ戻ってきたのでした。
帰国して改めて、
日本が古来からえんえんと持ち続けている民族的な宗教と文化から気づきを与えられ、
(岡本氏の視点は、縄文時代を再発見し
それまでの日本の古代史観を書き換えたともいわれているようです。)
そしてまたそれがすべての民族に共通しうることであると気づく。
これは大変興味深いことですし、私自身の経験からも共感を覚えるところがあります。


以下、少し長い引用になりますが、
2011年12月に行われた岡本太郎生誕100年のイベントでの対談の一部になります。
(対談者は末尾に明記。)
こちらも読んでいて、ああ。。と感嘆の息がもれます。




太郎は死ぬまで理解されなかったと言って
いいでしょうからね。
でもそれを選んだのは太郎自身です。
だって、パリに戻らなかったわけですからね。
戻れば順風満帆だったはずなのに。

太郎は19歳で渡仏し、22歳の若さで
抽象芸術運動の
ど真ん中に迎えられるわけです。
そのときのメンバーの顔ぶれを見ると‥‥

ーすごい巨匠ばかり。

そう。
しかも同時にシュルレアリスムの連中とも
つきあっている。
いわば、世界選抜チームを
渡り歩いたわけです。
人脈にしろ、キャリアにしろ、言うことなし。

戦争が終わって、パリに戻っていれば、
うまくいくのは目に見えていた。
だけど、帰んなかった。なぜだろう?
本人は
「俺はパリを捨てた人間だから、
 もう戻る資格はないんだ」
みたいに言ってるけど
とてもそんな程度の話とは思えない。

これは敏子に聞いたわけじゃなくて、
単なるぼくの推測ですけど‥‥
もしかしたら強烈な使命感が
そうさせたんじゃないかと思うんです。
いわば岡本太郎は、草野球しか知らない国から
ひとり大リーグに渡った人でしょう?
帰ってきたら母国はまだおかしなルールで
草野球をやっていた。
それを見て、誰からも頼まれてないのに、
このガラパゴスをなんとかしなきゃ
それがおれの仕事なんだ、と
勝手に思い込んだんじゃないかと思うんですよ。
だって、太郎は滅茶苦茶、
真面目な人だったから。

ー あ、真面目な人っていうことは、
 よくわかる。

そうですよね。
几帳面で、異常なほど
正義感の強い人だったと思う。

このことは、以前
民俗学者の赤坂憲雄さんとも
少し話をしたんですが、
赤坂さんは
「でもね、太郎がえらかったのは、
 草野球をやってるやつらを
 バカにしなかったところだ」
とおっしゃっていました。

ーああ、ほんとうに、そうですね。

当時、外国から帰ってきた人たちは
学者にしても芸術家にしても、
みんな日本をバカにした。
「おまえら草野球しかできねぇのかよ」
「俺は違うもんね」と。
太郎はバカにせずに
芸術とは何か、人生とは何か、
大衆に向かって、それを言い続けた。
だけど、けっきょく伝わんなかった。
死ぬまで「残響の強い無理解」の中にいたんです。


太郎さんは、フランスに行ったときに
マルセル・モース
(文化人類学者。岡本太郎さんが
 ソルボンヌ大学留学時に師事)
とのつきあいがありましたよね。
進んだ西洋の文化にあって、
たとえばアフリカに住む人たちを
研究対象として見ることがあったかもしれない。
でも、ちゃんと研究している人は
「ほんとうは同じ」ということに
気づいていくわけです。
おそらく人類学というのは
そういうことだと思います。
そこで、
自分が自分として生まれたということを
否定するわけにはいかない。
パリにいる岡本太郎はそう考えたと思います。

否定するわけにいかないけど
過剰にすばらしいとも言わない。
海外に行くと「日本はすげぇぞ」って、
やたらに言いたがる人だっているけど、
岡本太郎はそうもならなかった。

向こう側で見たものがあって
日本に帰って掘り起こしてみたら、
「なかなか、全部すごいじゃん?」
ということだったのでしょう。

(中略)


太郎は大阪万博で、
まぁ「見かけ上」、大成功したわけですよね。


でも、というか、だからこそ、っていうか
それ以降、太郎の地獄がはじまったんです。
あいかわらず社会は太郎に無理解なんだけど、
表面上成功したら、
戦わなくなっちゃったんですよ。

太郎が画壇的な権威に喧嘩を売っていた頃は、
「岡本太郎が10年後に残ってたら、俺の首やる」
という評論家もいたんです。
寄ってたかって批判して
『太陽の塔』のような見苦しいものは
ダイナマイトで爆破しろ、という声も
あったくらいです。
だけど、『太陽の塔』は国民的存在になり、
万博は大成功した。

それで、敵がいなくなった。
無理解、かつ敵がいない状態。
のれんに腕押し、糠に釘。
(中略)

万博以降は行く場所がなくなっちゃった。

-----------------------------------------------
岡本太郎生誕100年対談

岡本太郎記念館館長 平野暁臣
(文中、敏子というのは岡本敏子さん。暁臣氏は敏子さんの甥御さんだそうです)

インタビュー 糸井重里(ーで始まる部分)

以下のページより抜粋・引用させていただきました。
https://www.1101.com/taro100/2011-12-28.html







2017.09.02 Saturday

「私の人生は一遍の美しい物語です」


先日のブログで征矢泰子さんの人魚姫の詩から、言葉、感情のことなど書いたのですが、
そもそもの話として、人魚姫といって一般的に思い浮かぶのが
アンデルセンの童話ではないかと思うのですが、
アンデルセンの原本では人魚姫の話はどうなってるのだろう?と
疑問が湧いてきました。

早速、なるべく原本に近いと思われる邦訳で読んでみたのですが、
私が子供のころ読んで深く印象に残っていたアンデルセンの人魚姫とは
かなり印象が異なるものでした。

原本では人魚姫の幼少期から王子に出会うまでの描写がかなり丁寧に描かれており、
(私がかつて読んだ児童書版ではこの部分がばっさり省略されていました)
そしてまた面白いな、と思ったのは、
人魚姫は王子に親愛の情を覚えるようになったことで、
人間というもの全体をいとおしく思うようになったという描写とともに、
人魚姫は「永遠の魂」を手に入れたいと思った、ということ。

人魚は生まれ変わることができず、300年の寿命を生きた後ただ死ぬだけなのに、
人間には永遠の魂というものがあり、生まれ変わることで永遠に魂は生き続ける、
というような観念が描かれています。
熱心なキリスト教信者だったというアンデルセンならではの描写が織り込まれています。

(ちなみに、、
キリスト教で生まれ変わり?とちょっとひっかかったので調べてみたところ、
デンマークの国教であるプロテスタントの宗派の中には、
「個人の罪が赦された時、聖霊によって霊的に新たに生まれ変わる」
という教えがあるそうです。
私が住んでいたスペインは同じキリスト教でもカトリックですが、
生まれ変わりの概念はありません。)

そしてさらに驚いたのは、物語のラスト。
泡となって消えた人魚姫は、
彼女の良い心持に救われて、
さらに功徳を積むことにより300年後には永遠の魂を手に入れることができる、
と天使たちから告げられ天の国に近づきます。
その時初めて涙というものを生まれつき持たない人魚は涙を流すのです。

だから、人魚姫はいつも人が良いことをする手助けをするために
あなたのそばの自然の中にいて、
あなたが善い行いをすればより早く永遠の魂を授かることが出来、
あなたが悪い行いをすれば、彼女の永遠の扉も遠のく、と締めくくられています。

これはほんとうに教会のお説教的な描写部分で、
このあたりも私が幼少時に読んだ人魚姫の物語ではばっさり削除されていました。。


この人魚姫を読みながら、ハンス・クリスチャン・アンデルセンという
人物そのものにも興味がまた湧いてきたので、
ずっと昔に買った本をひっぱりだしました。



アンデルセンの自伝で、
「私の人生は一遍の美しい物語です」
というこの有名な一文はご存じの方もおられるかもしれません。


これを改めて読んでいるとアンデルセンはつねに神に寄り添い、
神の手となって執筆を続けていたように感じます。
とりわけ、この「人魚姫」の物語はアンデルセン自身と人魚姫が重なります。

少年期に極貧の中にあっても、
両親にまるで物語の中の王子様のように大切に育てられたアンデルセン。
現実をみず、夢見ることしか知らなかったアンデルセンは、
美しい声を持っていたことで、少ないお金を持ってコペンハーゲンへ上京し、
オペラ歌手になろうとしますが、声変わりで挫折。
そのあと執筆の仕事も、あきらめられない舞台への夢もことごとく破れてゆきます。

けれど絶望と極貧のどん底にあっても、
なにかのんきな部分が自分の中にあったと彼は自伝の中で書いています。
(幼少時代からのアンデルセンの環境は別の見方をしたら、
あまりに凄惨といえるかもしれません。。極貧の中、祖父、祖母、両親ともに狂死。
彼はその狂気の血を受け継いでいることに恐怖を感じていた部分もあったようです。)

こののんきな部分こそが、救いであり、彼の強さでもあり、
そして永遠に循環する豊穣=コヌルコピアに届かせるもののように私は感じます。
のんきな部分。
根拠のない安心感。
これは人の心の中に示される神の手なのかもしれません。

根拠のない安心感を持っているか持っていないかで、
その人が頭で考えているのか直感で動いているかがわかります。
そして直感で動くことこそが、この大地に於いてコヌルコピアに触れる鍵。

アンデルセンの自伝を読んでいると、両親の育て方の功徳もあって、
かれは直感でしか動いていない。
それでたくさん無駄道を歩いているようにもみえるけれど、
結局そのすべては、彼の詩や童話に集結している。

ひさしぶりにアンデルセンの自伝を読んですっかり忘れていた部分も多く、
今読んでみると、なんとはなくヴァン・ゴッホを思い出したりもしたのでした。。

 



点滴堂企画展「人魚姫の嘆き 2017」 →公式ページ

8月23日(水) - 9月3日(日) 月・火定休

12:30-21:00


会場/ 点滴堂 →HP
    東京都武蔵野市中町1-10-3 2階
    ・三鷹駅 北口より徒歩5分




「点滴堂」さんとはこんなところです・・・

ギャラリースペースのあるブックカフェ。
三鷹駅 北口 歩いて5分のちいさなお店です。

書棚の古本や 作品の展示とあわせておいしい珈琲をどうぞ♪

書棚や展示作品をご覧になるだけでも歓迎です♪

どうぞお気軽にお立ち寄りください☆

(点滴堂さんホームページより)

***


いよいよ日曜日までとなりました*
ぜひおこしくださいませね。


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