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2017.05.30 Tuesday

スラブ叙事詩

 



聖アトス山というのは、
ローマ・カトリックでいうところのバチカンにあたる、ギリシャ正教の聖地。
この地で聖母マリアが亡くなったとされています。

聖アトス山は古くから女人禁制の山となっており、
これについては、podcast番組「行け!世界遺産と雑学の旅」で、
チャイさんがご自身の意見として言われているように、
奉られている神(キリスト教的には聖人というべきでしょうか)が、
女性であるから。

奉られる神が女神であるからこそ、それを奉るのは男性である、
というのは、神道の陰陽結びでも説明が出来そうな事です。
天照大神をお奉りしているのですから、天皇陛下は男性でないと成らないんですよね。
ひとつには自然の摂理、この世界の成り立ちに沿ったそういう説明が叶うと思われます。




先日、「ミュシャ展」をみました。
上写真はスラブ叙事詩の中の一枚。(撮影許可された場で撮りました)

6月は制作などで密にスケジュールが埋まっているので、
行くなら今月の内にと、国立新美術館へ
ずっと気になっていた大連作「スラブ叙事詩」を観に行ってきました。

平日だというのに入館まで2時間待ち!
混雑する展覧会は今まで避けていたのでこんなに並んで観たのは初めてです。

ただ、それを押しても見ごたえのある展示でした。。

とりわけミュシャがすきなわけではないですが、
今回プラハよりシリーズ全作が来日した(奇跡的ですね)「スラブ叙事詩」の連作は、
ただうつくしい、ただ大きい、というだけではない
精神の深淵を哀しいくらいに伝えてきました。

これが、ミュシャが画家として本当に描きたかったもの、というのがうなづけます。
それも、それまでの彼のグラフィック的な仕事の業績を否定するものではなく、
すべて繋がって行きつく先にこの「スラブ叙事詩」があったのだと観ていて感じました。

近隣の国々に攻め込まれ蹂躙された戦争の場面の多いシリーズですが、
どの絵も、何か穏やかさのようなものがあり、
蹂躙された側のスラブ民族に光が当たって白く浮き立っています。

この連作の最後の1枚は民族自決の場面。

恐怖をあおるようなこともなく、
権威とか栄光にとらわれることもなく、
けれどノスタルジックと言う言葉ではこのスラブ叙事詩を表すには弱すぎる気もします。

この地上に生まれた命、人の叡智、神の調和、そういったものが
ただしんしんと降り積もる白い雪のように積み重なって
そこにスラブ民族として生まれたミュシャの心からの光が当たって
このスラブ叙事詩が生まれたように感じました。


2017.05.19 Friday

花をまとう


今年に入っていろいろな展示に出展させていただいていたので
なかなか気になる展示にも出かけられずじまいでした。

ちょうど制作も展示も一区切りのタイミングで、
10年来お付き合いいただいております
作家あっかさんの個展に伺ってまいりました。

あっかさんはもともと京都の友禅工房で絵付けの職人をされていましたが、
その後独立して横浜に工房を構えて、
現在はギャラリー展示とネット販売を中心に活動されています。

あっかさんオリジナルデザインの麻のお洋服は、
特別なご縁でタイの職人さんに縫製していただいてるとの事。
使用している麻布も、あっかさんが直接タイに足を運んで
着心地の良いもの、色合いの美しいものをセレクトしています。

これからの季節、
あっかさんのお洋服の面目躍如ではないでしょうか。





日本古来の柄、あっかさんオリジナルの柄、
絵柄の一つ一つに意味とテーマがあって興味深いです。



背面の肩にとまるように胡蝶柄が。。



こちらはあっかさんオリジナルの海のイメージの絵付け。



海の絵付けいいなあ。。素敵です。
他にも色違いでさわやかな萌黄色もありました。



こちらは肩からしだれる菊の花。


あっかさんのしだれ菊(乱菊)のロングベストが重宝していて、
Tシャツにぱっとはおるだけで雰囲気変わります。
去年スペインでの個展のオープニングセレモニーに着ていたら
むこうの方々にも大変好評でした*

あっかさんの絵付けって和柄がベースなのだけど、
和過ぎないというか、ほどよいオリジナリティがあって着やすいんです。
絵柄と布とデザインとの黄金比。


タッセル付のがまぐちも、和のみにとどまらない
どこかオリエンタルムードを漂わせていて素敵でした。
布の質感も素晴らしいです。

個展会場は、横浜のみなとみらい駅の改札でてすぐ、
とても広いギャラリーで、見ごたえたっぷりでした。
いままでのあっかさんの展示の中で最も出品点数が多いのではないでしょうか。
必見だと思います。

ほんとうに良いものを作り続けているあっかさんのお洋服やバッグ。
わたしもいつも大切に長く使わせていただいているものなので
「これ、ほんとうにいいよ〜」と言ってみたくてご紹介させてもらいました*

展示会の詳細は下記あっかさんのサイトへ・・・
『2017.5/15〜21 花をまとう inみなとみらい』
http://akkaakka.com/event/201751521in.html




2017.05.02 Tuesday

チェルノブイリ原発事故から31年

ロシア系のニュースをみると、
チェルノブイリ原発事故から31年という見出しが目につきます。

時々のぞかせていただいている、
ベラルーシ在住の、チロ基金(チェルノブイリ原発事故に伴う医療支援活動など)
の責任者として活動されている日本人の方のブログでも
その話題が取り上げられていました。
以下少しですがその方のブログから転載させていただきます。
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昨年の今頃は「ついにセシウム137の半減期が来るから、
きっと内部被爆の数値も下がるに違いない。」
と期待していたのですが、予想は外れました。
(中略)
ベラルーシの子どもたちの内部被爆量には変化はありません。
おそらく生体濃縮が続いていて、
事故のとき放出したセシウム137全体から言えば、
数は半分になったとはいえ、食品の汚染は続いており、
逆に人間の体内に蓄積している・・・ということでしょう。
蓄積が絶え間なく続いているので、結局ベラルーシ人は内部被爆し続けており、
それが測定すると数値として表れている、ということです。
(中略)
結局、ずっと放射能と付き合う生活を送っていかなくてはいけません。
次の半減期は2046年。劇的な内部被爆の減少はおきているでしょうか?
一人一人の体重1キロ当たりの内部被爆量として考えると、それは起こらないだろうと思います。

全文こちら→「チェルノブイリ原発事故から31年

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放射能に関しては、東京は場所によっては
ベラルーシの何倍も汚染されているとも言われています。
また日本では食品添加物に対してEU諸国に比べると大変遅れていて、
農薬や化学物質の種類も添加量も大変多い。
農薬のようなものと放射性物質が結びつきやすいのは、
福島原発事故で静岡のお茶の汚染が酷かったところからも容易に想像がつきます。
(福島の原発事故当時、静岡ではお茶のみが放射能による出荷禁止に。
茶葉は育てるのが難しいらしく、普段から大量の農薬が使われているとの事。
それが放射能と結びつきやすくなった原因かと。)


食に関しては、
自分で身を守らなければならないという意識をさらに強く持たねばと、
自分の身は自分で守らねばと、
今回チェルノブイリ原発事故31年目関連の記事を読んで思いました。

去年6月の私のひどい胃腸の不調は、
日本でお米に通常使われている農薬が原因でした。
わかっている限りではお米の残留農薬が原因。
けれどまさかお米が原因と最初はわからず、
体調が悪いからとおかゆを食べていた為にどんどん症状が酷くなってゆきました。

そもそも以前から、
炊き立てのごはんが洗剤のにおいがすると感じた時点で
そのお米を食べてはいけなかったのです。
身体はちゃんと知らせてくれたのに、
頭で考えて「みんな食べているから、、いつも食べてるものだから」と
身体の信号を無視し食べ続けた故に、本当にひどい体の状態になってしまいました。
それまで長年食してきた食品添加物の体への蓄積も
合わせて引き金となったのかもしれません。
一度ひどい目に合ってようやく学びます。
以来においや味に不信を感じるお米は食べないようにしています。
白いご飯が味がしない、
というのがそもそもおかしな話なのです。

「白米が嫌い」という友人が何人かいるのですが、話を聞いていると、
嫌われる原因は、やはり今日本で普通に食べられている白米が、
農薬により植物として疲弊したものになっていること(だから味がしない)や、
またそれを補う為にモチ米が混ぜられている(もち米で無理にモチモチさせている)
ことが挙げられるように思いました。
元来のお米の、穀物の香りや、植物の力を全く感じないのです。
おいしくないのです。

去年の秋、私の不調を心配して友人が送ってくれた
合鴨農法の自然のお米をいただいたとき、
今まで食べていたものは何だったんだろうと愕然としました。
お米がたいへん香ばしく、植物の香り漂う白いごはん。。

日本の食はなぜいまこんなに貧しくなってしまったのでしょう。。
お米にかぎらず残念なことに日本では、
スーパーなどで買い物をしていて食品添加物ゼロという食料を買うことが
とても難しくなっています。
日常出来ることとして私は最低限、
乳化剤(=いわゆる防腐剤ですね)
イーストフード
カラメル色素
増粘剤(増粘多糖類)
この4つだけは入っていない(あくまで最低限)ものを選ぶようにしています。
もちろん化学薬品名のようなものが原料名に入っている物も食べたくありません。
それ以前に、食べても美味しくないんですよね。
特に去年の6月の洗礼を受けてからは、舌が敏感になりました。
敏感、という言葉は違うかも。
今まで添加物を当たり前のように食して麻痺していたのが、
ようやく正常な味覚の状態に戻ったと言うべきでしょうか。

私は肉類はほとんど食べないのですが、
野菜なども農薬や化学肥料に加えて
いまは放射能と言うものにも十分注意せねばならなくなりました。
自分の体を守るのは、自分しかありません。
本当に去年の6月にひどい目に合うことがなかったら気づかなかったこと。
あの時は今までの人生にないくらいに苦しいつらい状況だったけれど、
生きる上で大切なことを学びました。

昔から私はおなかを壊しやすくて、
その当時は私の体が弱い・悪いように言われていたけれど、
今思えば、体のセンサーがちゃんと反応して、
いらないものを身体に取り込まないように守ってくれていたのだ、と思えます。
身体の自然はすごいな、と思うし、
今はちゃんとそこに目を向けて生活できるようにしたいな、と思うのでした。
まあ、単純に、
自然な美味しい「食品(薬品ではなく)」を食べたいという事です。



2017.04.18 Tuesday

舞楽

 
「舞楽では運動の変化を描き出すことが
音楽の目的ではない。
音楽を巻き込もうとする時間の流れに逆らって音が表現していく
それぞれの出来事一つ一つにわれわれをひきとめることが
音楽の目的ではない。
これとは反対に、持続するもの、われわれの外にあって
分割不可能なものの存在を感知できるようにすることが目的なのである。」

--ポール・クローデル「朝日の中の黒い鳥」より--



ポール・クローデル本人もおそらくそれとは気づかずに
彼が基より内に持っている土着的フランスのキリスト教民族文化と
日本の古神道とに共通性を見出した、
その感性を感じられるところにこの本の面白さがあると思った。

私がスペインの土着的宗教文化(民族文化)から感じ取った
古神道との共通性と同じものを、この本から感じている。

上記抜粋させてもらった文章にポール・クローデルが表しているように、
日本の民俗的文化宗教(古神道)を特に能楽や舞楽から鋭く感じとって書いているのが愁眉。
芸術というのはこのために在るのだということがひしひしと感じられ、共感させられる。


2017.04.06 Thursday

アナスタシア6巻 読了

 
アナスタシアの6巻が手元に届いた。
ページ開くとふわあっと森の香りが広がった。
そうだ。
紙は木からできていたんだ、と
あまりに当たり前のことを思い出す。
しっとりとした紙が手に吸い付くように優しくなじむ。
それだけで、この本がとても大切に丁寧に作られているのがわかる。

本、とはただの情報だけではない。



引き込まれてあっという間に読了。
この本を読むこと以上に大事なことなど他にない、というくらい引き込まれた。

すべての神話や伝説の意味がわかってしまうような気がする。


「魂にとって最もよい場所とは自らの手と魂で創造した楽園である」
                   〜アナスタシア6巻より





スペインの窯元のお世話になる工房を初めて訪問した日、
職人さんの一人が、絵付けのテーブルのところに置いてある
赤い椅子をぽんぽん*と叩きながら「これがMAJOの椅子だよ!」と言った。
この日から、私に、スペインでの居場所が出来た。
居場所がある、ということは、
なんて心地よく、素敵なことだろうと思った。

そうしてすべてはこの赤い椅子=私の居場所から始まったのです。


アナスタシアの6巻を読みながらこんなことを思い出していました。


2017.03.08 Wednesday

ほんもの

 
昨日のおぼえがきに書いたサックスの少女は、
KYOKOさんというそうで、有名な方なのですね。
ご本人のブログもありました。
小学生でプロを目指す音楽集団として国内外で活動的に演奏されていて、
その年齢に比してのキャリアは長いようです。

私は先週末の夜に銀座の和光の前で初めて出会い、
最初は、遠くから聞こえてくる音色に
『あ、ピアソラのリべルタンゴだ!』と近寄って行った。

近寄ってみると、『こんな遅い時間に?!』と、
演奏のうまさにも、子供だということにも驚いたが、
深夜のライブハウスでも演奏している彼女からしたらまだ宵の口だったかもしれない。

上記のご本人のブログは、
始めの内はお父さんが書かれていて(やはり音楽畑の方??)
「画家は1代、音楽は2代、味は3代」というように、
彼女もこのお父さんの英才教育を受けて育っているように読めました。


昨夜寝入りばなに読んでいたお父さんの言葉。
真剣に、真摯にものを生み出すこと、表現する人ならば
皆うなづくのではないでしょうか。

『悪運はその人の性格・環境・ものの捉え方がすべてと
私はかねてから思っている。
〜中略〜
自分自身に微塵の不安も無い人、それが強運の持ち主ではないか』


『100万回なりたいと思っても、
それが行動に反映しない生き方・人生は
外れクジを100万回引いているのと同じ。』

私もいつも思っているように、
「人はいとも簡単に願いを叶えることができる。
より具体的に願ったことが叶いやすい。
概して人は悪いことをより具体的に願ってしまうのだけれど、
心から具体的に本当に自分らしい心地よい生き方を
(微塵も疑わずに)願えばいい。」
という事と同じで、
別の角度からの言い方をされていることだと思います。


そしてまた、
KYOKOさんは最高の師匠に教わるために片道3時間かけて習いに通ったとのことで、
『その師匠を好きでなかったら、その人に習う意味がない。
自分が将来なりたい人物のできるだけ傍に行け。』
という事もお父さんは書かれていますが、
これも、先日おぼえがきに書いた私の気功の先生の言葉、
『家が近いから、月謝が安いから、という理由で
習い事をしていても意味はなく
(外れクジを100万回引いているのと同じ)、
その世界で、最高の人に習う、ということが大切。』
というところに重なるものを感じます。

なにも日本じゃなくてもいいのだし。
それは私も実体験からよくわかりますし、
最近、指揮者の西本智実さんのブログ
さかのぼって読んでいて面白いなと思っているのですが、
彼女も、日本独特の確固とした掟があるこの国のクラシック界から離れて、
自分の信じる道を歩んでる。
「私は本物を求めている」とは西本さんの言。

どんな状況でも何の職業でも、
真実を突き詰めていくといつしかみんな同じひとつの道を歩んでいて、
そしてその道は必ず頂上へと向かっているのだなあと感じるのです。


今回、KYOKOさんの演奏に力をもらいました。
何より路上演奏の場に和光の前を選ぶんなんて優れています。
彼女は岐阜県から来て演奏しているようです。
本物を真剣に目指しているからこの場所を選んだのでしょうか。
銀座の和光は、いまの日本でただ一つ残された本物のデパートだもの。






2017.01.28 Saturday

鎌倉山で

 
お正月の展示でのご縁から、
鎌倉山のGallery招山さんへおじゃましました。
まるで地中海のリゾートのような立地。
ギャラリーの、海に向かって解放されたテラスで深呼吸。
ぽかぽかの陽気にすっかり心身ゆるんでしまいました。

今日は招山さん企画のこちらのイベントをされていて、とてもたのしく過ごさせてもらいました。

ゲストの高知からお越しの早川ユミさんのお話を伺っていると、
人はまるごと自然そのもので、
自然を大事にすることは人を自分を大事にすることそのままであり、
そして人が自然であることは、究極に幸せな事なんだ、と、
改めてじんわりと深いところで感じました。。

私は「冷え取り」という思想とグッズ的なものにはあまり興味がないのですが、
人の体は脳だけではなくすべての器官で感じ・考えている、
自然でない繊維の衣服に触れている肌はとてつもないストレスを感じている、
この声に耳をすませることができるのが本来の心身の姿、
というのはとてもよくわかります。

私も、ヒートテックアレルギーになって以来、
ケミカルな加工をしていない衣類でないと皮膚が嫌がるのを感じます。
(ヒートテックアレルギーと衣類についてのおぼえがきはこちらに


早川さんの、生産と消費のお話も示唆されるものがあり、
現代では多くの家庭というものが消費の場になってしまっている。
昔は家庭では味噌を作り、縫物をし、
当然のこととしていつも何かしら生産しながら生活していた。

私が思うに、生産は陽で、消費は陰ではないかと。
単に物質的なことだけでなくとも、
何か心身の益を得たいがために、
それを自ら生産しようとするかかわり方ではなく、
ジプシーのようにあちこちさまよって
ただ誰かから欲しがっているだけの状態も陰でしょう。
すでにすべて自分の中にあるのに。
健康も。衣食住すべてが。

家の中に・身体のなかに陰ばかり持ち込んでいたら
バランスを崩して当たり前のように思えます。
そこから抜け出すには陽に転嫁すればよい、という
自然に沿えばいとも簡単に解決の糸口が見つかるように感じました。
もっとも身近な自然は自分の体です。


葉山で畑をされている方の絶品お弁当を頂きながらのお話し会でした。
とくにこの日がそうと狙った訳ではないようでしたが、
偶然にも旧暦の新年をひっそりと丁寧に祝うかのような善き時間。
私の内面にとっても大切な時をすごさせてもらいました。






2017.01.08 Sunday

芳名帳

 
12月、神戸のアトリエシードさんでの個展
「Feliz!Feliz! しあわせのうつわ展」の芳名帳をオーナーさんがお送り下さり、
今週のはじめに手元に届きました。(年末年始に郵便物の遅延があり、
更にここは田舎なので届くのに時間がかかったようです)

心のこもった皆様からのメッセージを拝読して大変心暖かくなりました。
ほんとうにありがとうございました。

うつわたちもこの個展で
しあわせな出会いをはたすことができたように感じ感謝して居ます。

沢山の作品があるから・沢山の人が来るから、といって、
良い出会いがあるとは限りませんし、
そのときの状態や環境も関係してくるかもしれません。
作品もいつも見て頂けるとは限りません。
いろいろな細い線がつながってのほんとうの出会いなのだと思います。
今回の個展もそんな細い線が繋がった貴重な機会だったのだと感じます。

今回の個展について、
アトリエシードのオーナーさんからお聞きして嬉しかったことの一つは、
今回個展におこし下さいました多くのお客さまが、
このおぼえがきや、
アトリエシードさんが私の作品について書いて下さったブログ記事を
よく読み込んでおこし下さっていた、ということ。

おぼえがきをとても長く昔から読んで下さっている方もいらしているようで、
最近読んで下さった方もご興味持って過去のものまで遡ってお読み下さったり。。
つたないブログですが、ほんとうにありがとうございます。

今年も展示のお声がけを色々頂いて居りますが、
展示の事、作品の事、そして身近かな関わりの事など、
おぼえがきにてご紹介させて頂くことと思います。

これからもどうぞよろしくお願い致します。



2016.06.26 Sunday

鎌倉でワンピース

 
京都でお世話になっているセレクトショップhugのオーナーさんが
展開されているお洋服のオリジナルブランド「aHna」をひっさげて、
鎌倉で個展をされているというので、会場となる御成通りの葉っぱ小屋さんへ。

今回はワンピースがメインテーマとのことで、
着心地の良いたっぷりとした麻布の新作ワンピースが並んで居りました。



この土日はaHnaさんご本人も会場に居られて
着こなしを楽しむアドバイスなどしてくださり、
あ〜おしゃれな方は違う!と、
一般的なおしゃれからかなり遠ざかった独自路線の私には目からウロコでありました。

会場で一番目を引いていた朱赤のワンピースを試着させて頂きましたが
背面にギャザーが沢山よっていて後ろ姿が「大人可愛い」。
鮮やかな朱赤について私が『鳥居みたいな色!』(もちろん褒め言葉のつもり)
と言うと、
その時周りにいた人々はお答えに微妙に困って苦笑されている様子でしたが。。
私のワードローブにはない色でしたが、
じっさい試着させていただいてみると思ったほど派手さは感じず、
きりっとしたシックな印象。
洋服って着てみないと本当にわからないものですね。

会場ではおもわぬ偶然で、陶芸のお客さんとお会いしたりもして、
お話とても楽しく過ごさせて頂きました。
こんな風に人があつまってくる場所って良いですね〜。



今回のaHnaさんのワンピースを主とした展示は、
7/18(月・祝)までの期間限定だそうで、
この時期あじさいを愛でに鎌倉にお越しになるようでしたら、
鎌倉駅から御成通りの右手すぐインテリアまさきさんの2階、
葉っぱ小屋(秘密基地みたいなすてきな場所です)を
のぞいてご覧になってみて下さい^^
(aHnaさんのお洋服をお買い上げの方にさしあげておられる冊子には
少しだけ、私と私のセラミックドールたちが登場させてもらっています。。)

会場/葉っぱ小屋 鎌倉市御成町11−10 2階
         tel.080-1164-9020
         11:00-18:00 展示期間中は、月・水曜お休み

夜はaHnaさんと葉っぱ小屋オーナーさんにまじって夕飯も一緒させて頂き
訪れたのは、以前から気になっていた小町通りのトルコ料理レストラン。
ヨーグルトソースのトルコ式水餃子、鎌倉野菜を使ったトルコ式シチューなど、
おなかにやさしいメニューで、私は体調の事もあり意識して肉類は控えたものの、
久しぶりに普通(?)のお料理を頂きました。
もともとトルコ料理は好きでしたが(詳しくはないですが)、
ここのお料理もとてもおいしく、店員さんも気さくで
異国情緒にあふれる店内につられて旅の話で盛り上がる晩餐となりました。



2016.06.09 Thursday

真葛焼 〜初代・宮川香山

 


初代宮川香山没後100年記念展覧会のことを書こうと思いつつ、
この展示を観にいってからはや数ヶ月。
思えば怒濤のようなこの春の忙しさだったのでした。


改めまして。。


初期作品は平面的な上絵付けによる装飾にとどまっていた。初代香山。



今年の3月、横浜の宮川香山美術館にて
初代宮川香山没後100年を記念する展覧会が開かれていました。

真葛焼(まくずやき)で知られる宮川香山の作品は
いままで写真でみたことはあったものの
実際に観たのはこの時が初めて。



しかもこの時は記念展覧会とのことで特別に入場無料、
しかも作品の写真撮影も可という美術館側のふとっぱらなご配慮ぶり。

また偶然美術館長によるギャラリートークに当たり、
宮川香山について、
真葛焼について、
興味深いお話沢山お聞かせ頂きました。
(今回の写真はすべて観に行った時に撮影させていただいたものです。
ガラス越しのため明瞭でないものもありますがお印までに。。)


 
 



館長のミュージアムトークより
『宮川香山は京都生まれの陶芸家。
京都という場所は世界各地の首都と違わぬように、
あらゆる文化が交雑する場所でもありました。
京都の陶芸にしても然り。
有田焼、
信楽焼、
備前焼、
などのような
京都の固有の焼き物というものは無く、
いろいろな文化を受け入れ吸収した
様々なタイプの焼き物が京都にはありました。
なので、今日一口に『京都の焼き物』といっても
ぱっと明確にこれといったものが思い浮かばないのは
そういったわけなのです。



真葛焼というのは初代宮川香山のかなり独創的な世界観を顕しています。
真葛というのは宮川香山生前当時、八坂神社裏手の円山公園の一体を
真葛ヶ原と呼んで居り、香山の窯はここに在りました。

しかし当時、経済発展の明るい将来は、
西洋に向けて開港された横浜にあり、と言われて居りました。
香山も周囲の勧めにより、
そうした時代の流れに乗って
京都から横浜へと窯を移す事にしたのです。』


 


特に西洋に向けての博覧会など盛んな時代にあって
宮川香山の真葛焼は海外で高評価を得ました。
国内にも顧客が増え、自由奔放であるようにみえても
顧客の要望に答えての制作。
その顧客の要望によってかなり様々なスタイルを展開させてゆきます。



掛け軸の絵も初代香山によるもの。幼少のみぎりより高名な絵師に手習いしていた。



おこがましいのは承知で、と前置きさせて頂いた上で書きますが、
香山の技法の変遷に、私はかなりおどろいてこの展覧会を観ていました。

それは、香山がとりいれる技法がことことく、
私が辿る変遷に重なっているからです。

技法だけではありません。
表現をする際の目のつけどころ、
とでも言うのでしょうか。
動植物にむける目、それを土に表す際の造形と絵付けの視点、
とても他人とは思えない物が在りました。


明治天皇に献上された美しいいっちん技法の香炉。


愛らしい鳥の陶箱


翡翠色の釉をかけたレリーフ彫りの装飾。



やがて最後の展示室に展示されていたこの作品。





やはりこういった世界へ集約されてゆくのか、と納得するところがありました。

なんとも不思議な、精神に於いて既視感ある初代香山の作品。
いままでにみた展覧会は数々あれど
なんともこのようなキモチになった展覧会は初めての感覚でした。
 

 
それにしても
またしても
うつし世に鳥が顕われつづけています。
 
そういえば来年は干支もトリですね。
 
 
 
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