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2017.04.18 Tuesday

舞楽

 
「舞楽では運動の変化を描き出すことが
音楽の目的ではない。
音楽を巻き込もうとする時間の流れに逆らって音が表現していく
それぞれの出来事一つ一つにわれわれをひきとめることが
音楽の目的ではない。
これとは反対に、持続するもの、われわれの外にあって
分割不可能なものの存在を感知できるようにすることが目的なのである。」

--ポール・クローデル「朝日の中の黒い鳥」より--



ポール・クローデル本人もおそらくそれとは気づかずに
彼が基より内に持っている土着的フランスのキリスト教民族文化と
日本の古神道とに共通性を見出した、
その感性を感じられるところにこの本の面白さがあると思った。

私がスペインの土着的宗教文化(民族文化)から感じ取った
古神道との共通性と同じものを、この本から感じている。

上記抜粋させてもらった文章にポール・クローデルが表しているように、
日本の民俗的文化宗教(古神道)を特に能楽や舞楽から鋭く感じとって書いているのが愁眉。
芸術というのはこのために在るのだということがひしひしと感じられ、共感させられる。


2017.04.06 Thursday

アナスタシア6巻 読了

 
アナスタシアの6巻が手元に届いた。
ページ開くとふわあっと森の香りが広がった。
そうだ。
紙は木からできていたんだ、と
あまりに当たり前のことを思い出す。
しっとりとした紙が手に吸い付くように優しくなじむ。
それだけで、この本がとても大切に丁寧に作られているのがわかる。

本、とはただの情報だけではない。



引き込まれてあっという間に読了。
この本を読むこと以上に大事なことなど他にない、というくらい引き込まれた。

すべての神話や伝説の意味がわかってしまうような気がする。


「魂にとって最もよい場所とは自らの手と魂で創造した楽園である」
                   〜アナスタシア6巻より





スペインの窯元のお世話になる工房を初めて訪問した日、
職人さんの一人が、絵付けのテーブルのところに置いてある
赤い椅子をぽんぽん*と叩きながら「これがMAJOの椅子だよ!」と言った。
この日から、私に、スペインでの居場所が出来た。
居場所がある、ということは、
なんて心地よく、素敵なことだろうと思った。

そうしてすべてはこの赤い椅子=私の居場所から始まったのです。


アナスタシアの6巻を読みながらこんなことを思い出していました。


2017.03.08 Wednesday

ほんもの

 
昨日のおぼえがきに書いたサックスの少女は、
KYOKOさんというそうで、有名な方なのですね。
ご本人のブログもありました。
小学生でプロを目指す音楽集団として国内外で活動的に演奏されていて、
その年齢に比してのキャリアは長いようです。

私は先週末の夜に銀座の和光の前で初めて出会い、
最初は、遠くから聞こえてくる音色に
『あ、ピアソラのリべルタンゴだ!』と近寄って行った。

近寄ってみると、『こんな遅い時間に?!』と、
演奏のうまさにも、子供だということにも驚いたが、
深夜のライブハウスでも演奏している彼女からしたらまだ宵の口だったかもしれない。

上記のご本人のブログは、
始めの内はお父さんが書かれていて(やはり音楽畑の方??)
「画家は1代、音楽は2代、味は3代」というように、
彼女もこのお父さんの英才教育を受けて育っているように読めました。


昨夜寝入りばなに読んでいたお父さんの言葉。
真剣に、真摯にものを生み出すこと、表現する人ならば
皆うなづくのではないでしょうか。

『悪運はその人の性格・環境・ものの捉え方がすべてと
私はかねてから思っている。
〜中略〜
自分自身に微塵の不安も無い人、それが強運の持ち主ではないか』


『100万回なりたいと思っても、
それが行動に反映しない生き方・人生は
外れクジを100万回引いているのと同じ。』

私もいつも思っているように、
「人はいとも簡単に願いを叶えることができる。
より具体的に願ったことが叶いやすい。
概して人は悪いことをより具体的に願ってしまうのだけれど、
心から具体的に本当に自分らしい心地よい生き方を
(微塵も疑わずに)願えばいい。」
という事と同じで、
別の角度からの言い方をされていることだと思います。


そしてまた、
KYOKOさんは最高の師匠に教わるために片道3時間かけて習いに通ったとのことで、
『その師匠を好きでなかったら、その人に習う意味がない。
自分が将来なりたい人物のできるだけ傍に行け。』
という事もお父さんは書かれていますが、
これも、先日おぼえがきに書いた私の気功の先生の言葉、
『家が近いから、月謝が安いから、という理由で
習い事をしていても意味はなく
(外れクジを100万回引いているのと同じ)、
その世界で、最高の人に習う、ということが大切。』
というところに重なるものを感じます。

なにも日本じゃなくてもいいのだし。
それは私も実体験からよくわかりますし、
最近、指揮者の西本智実さんのブログ
さかのぼって読んでいて面白いなと思っているのですが、
彼女も、日本独特の確固とした掟があるこの国のクラシック界から離れて、
自分の信じる道を歩んでる。
「私は本物を求めている」とは西本さんの言。

どんな状況でも何の職業でも、
真実を突き詰めていくといつしかみんな同じひとつの道を歩んでいて、
そしてその道は必ず頂上へと向かっているのだなあと感じるのです。


今回、KYOKOさんの演奏に力をもらいました。
何より路上演奏の場に和光の前を選ぶんなんて優れています。
彼女は岐阜県から来て演奏しているようです。
本物を真剣に目指しているからこの場所を選んだのでしょうか。
銀座の和光は、いまの日本でただ一つ残された本物のデパートだもの。






2017.01.28 Saturday

鎌倉山で

 
お正月の展示でのご縁から、
鎌倉山のGallery招山さんへおじゃましました。
まるで地中海のリゾートのような立地。
ギャラリーの、海に向かって解放されたテラスで深呼吸。
ぽかぽかの陽気にすっかり心身ゆるんでしまいました。

今日は招山さん企画のこちらのイベントをされていて、とてもたのしく過ごさせてもらいました。

ゲストの高知からお越しの早川ユミさんのお話を伺っていると、
人はまるごと自然そのもので、
自然を大事にすることは人を自分を大事にすることそのままであり、
そして人が自然であることは、究極に幸せな事なんだ、と、
改めてじんわりと深いところで感じました。。

私は「冷え取り」という思想とグッズ的なものにはあまり興味がないのですが、
人の体は脳だけではなくすべての器官で感じ・考えている、
自然でない繊維の衣服に触れている肌はとてつもないストレスを感じている、
この声に耳をすませることができるのが本来の心身の姿、
というのはとてもよくわかります。

私も、ヒートテックアレルギーになって以来、
ケミカルな加工をしていない衣類でないと皮膚が嫌がるのを感じます。
(ヒートテックアレルギーと衣類についてのおぼえがきはこちらに


早川さんの、生産と消費のお話も示唆されるものがあり、
現代では多くの家庭というものが消費の場になってしまっている。
昔は家庭では味噌を作り、縫物をし、
当然のこととしていつも何かしら生産しながら生活していた。

私が思うに、生産は陽で、消費は陰ではないかと。
単に物質的なことだけでなくとも、
何か心身の益を得たいがために、
それを自ら生産しようとするかかわり方ではなく、
ジプシーのようにあちこちさまよって
ただ誰かから欲しがっているだけの状態も陰でしょう。
すでにすべて自分の中にあるのに。
健康も。衣食住すべてが。

家の中に・身体のなかに陰ばかり持ち込んでいたら
バランスを崩して当たり前のように思えます。
そこから抜け出すには陽に転嫁すればよい、という
自然に沿えばいとも簡単に解決の糸口が見つかるように感じました。
もっとも身近な自然は自分の体です。


葉山で畑をされている方の絶品お弁当を頂きながらのお話し会でした。
とくにこの日がそうと狙った訳ではないようでしたが、
偶然にも旧暦の新年をひっそりと丁寧に祝うかのような善き時間。
私の内面にとっても大切な時をすごさせてもらいました。






2017.01.08 Sunday

芳名帳

 
12月、神戸のアトリエシードさんでの個展
「Feliz!Feliz! しあわせのうつわ展」の芳名帳をオーナーさんがお送り下さり、
今週のはじめに手元に届きました。(年末年始に郵便物の遅延があり、
更にここは田舎なので届くのに時間がかかったようです)

心のこもった皆様からのメッセージを拝読して大変心暖かくなりました。
ほんとうにありがとうございました。

うつわたちもこの個展で
しあわせな出会いをはたすことができたように感じ感謝して居ます。

沢山の作品があるから・沢山の人が来るから、といって、
良い出会いがあるとは限りませんし、
そのときの状態や環境も関係してくるかもしれません。
作品もいつも見て頂けるとは限りません。
いろいろな細い線がつながってのほんとうの出会いなのだと思います。
今回の個展もそんな細い線が繋がった貴重な機会だったのだと感じます。

今回の個展について、
アトリエシードのオーナーさんからお聞きして嬉しかったことの一つは、
今回個展におこし下さいました多くのお客さまが、
このおぼえがきや、
アトリエシードさんが私の作品について書いて下さったブログ記事を
よく読み込んでおこし下さっていた、ということ。

おぼえがきをとても長く昔から読んで下さっている方もいらしているようで、
最近読んで下さった方もご興味持って過去のものまで遡ってお読み下さったり。。
つたないブログですが、ほんとうにありがとうございます。

今年も展示のお声がけを色々頂いて居りますが、
展示の事、作品の事、そして身近かな関わりの事など、
おぼえがきにてご紹介させて頂くことと思います。

これからもどうぞよろしくお願い致します。



2016.06.26 Sunday

鎌倉でワンピース

 
京都でお世話になっているセレクトショップhugのオーナーさんが
展開されているお洋服のオリジナルブランド「aHna」をひっさげて、
鎌倉で個展をされているというので、会場となる御成通りの葉っぱ小屋さんへ。

今回はワンピースがメインテーマとのことで、
着心地の良いたっぷりとした麻布の新作ワンピースが並んで居りました。



この土日はaHnaさんご本人も会場に居られて
着こなしを楽しむアドバイスなどしてくださり、
あ〜おしゃれな方は違う!と、
一般的なおしゃれからかなり遠ざかった独自路線の私には目からウロコでありました。

会場で一番目を引いていた朱赤のワンピースを試着させて頂きましたが
背面にギャザーが沢山よっていて後ろ姿が「大人可愛い」。
鮮やかな朱赤について私が『鳥居みたいな色!』(もちろん褒め言葉のつもり)
と言うと、
その時周りにいた人々はお答えに微妙に困って苦笑されている様子でしたが。。
私のワードローブにはない色でしたが、
じっさい試着させていただいてみると思ったほど派手さは感じず、
きりっとしたシックな印象。
洋服って着てみないと本当にわからないものですね。

会場ではおもわぬ偶然で、陶芸のお客さんとお会いしたりもして、
お話とても楽しく過ごさせて頂きました。
こんな風に人があつまってくる場所って良いですね〜。



今回のaHnaさんのワンピースを主とした展示は、
7/18(月・祝)までの期間限定だそうで、
この時期あじさいを愛でに鎌倉にお越しになるようでしたら、
鎌倉駅から御成通りの右手すぐインテリアまさきさんの2階、
葉っぱ小屋(秘密基地みたいなすてきな場所です)を
のぞいてご覧になってみて下さい^^
(aHnaさんのお洋服をお買い上げの方にさしあげておられる冊子には
少しだけ、私と私のセラミックドールたちが登場させてもらっています。。)

会場/葉っぱ小屋 鎌倉市御成町11−10 2階
         tel.080-1164-9020
         11:00-18:00 展示期間中は、月・水曜お休み

夜はaHnaさんと葉っぱ小屋オーナーさんにまじって夕飯も一緒させて頂き
訪れたのは、以前から気になっていた小町通りのトルコ料理レストラン。
ヨーグルトソースのトルコ式水餃子、鎌倉野菜を使ったトルコ式シチューなど、
おなかにやさしいメニューで、私は体調の事もあり意識して肉類は控えたものの、
久しぶりに普通(?)のお料理を頂きました。
もともとトルコ料理は好きでしたが(詳しくはないですが)、
ここのお料理もとてもおいしく、店員さんも気さくで
異国情緒にあふれる店内につられて旅の話で盛り上がる晩餐となりました。



2016.06.09 Thursday

真葛焼 〜初代・宮川香山

 


初代宮川香山没後100年記念展覧会のことを書こうと思いつつ、
この展示を観にいってからはや数ヶ月。
思えば怒濤のようなこの春の忙しさだったのでした。


改めまして。。


初期作品は平面的な上絵付けによる装飾にとどまっていた。初代香山。



今年の3月、横浜の宮川香山美術館にて
初代宮川香山没後100年を記念する展覧会が開かれていました。

真葛焼(まくずやき)で知られる宮川香山の作品は
いままで写真でみたことはあったものの
実際に観たのはこの時が初めて。



しかもこの時は記念展覧会とのことで特別に入場無料、
しかも作品の写真撮影も可という美術館側のふとっぱらなご配慮ぶり。

また偶然美術館長によるギャラリートークに当たり、
宮川香山について、
真葛焼について、
興味深いお話沢山お聞かせ頂きました。
(今回の写真はすべて観に行った時に撮影させていただいたものです。
ガラス越しのため明瞭でないものもありますがお印までに。。)


 
 



館長のミュージアムトークより
『宮川香山は京都生まれの陶芸家。
京都という場所は世界各地の首都と違わぬように、
あらゆる文化が交雑する場所でもありました。
京都の陶芸にしても然り。
有田焼、
信楽焼、
備前焼、
などのような
京都の固有の焼き物というものは無く、
いろいろな文化を受け入れ吸収した
様々なタイプの焼き物が京都にはありました。
なので、今日一口に『京都の焼き物』といっても
ぱっと明確にこれといったものが思い浮かばないのは
そういったわけなのです。



真葛焼というのは初代宮川香山のかなり独創的な世界観を顕しています。
真葛というのは宮川香山生前当時、八坂神社裏手の円山公園の一体を
真葛ヶ原と呼んで居り、香山の窯はここに在りました。

しかし当時、経済発展の明るい将来は、
西洋に向けて開港された横浜にあり、と言われて居りました。
香山も周囲の勧めにより、
そうした時代の流れに乗って
京都から横浜へと窯を移す事にしたのです。』


 


特に西洋に向けての博覧会など盛んな時代にあって
宮川香山の真葛焼は海外で高評価を得ました。
国内にも顧客が増え、自由奔放であるようにみえても
顧客の要望に答えての制作。
その顧客の要望によってかなり様々なスタイルを展開させてゆきます。



掛け軸の絵も初代香山によるもの。幼少のみぎりより高名な絵師に手習いしていた。



おこがましいのは承知で、と前置きさせて頂いた上で書きますが、
香山の技法の変遷に、私はかなりおどろいてこの展覧会を観ていました。

それは、香山がとりいれる技法がことことく、
私が辿る変遷に重なっているからです。

技法だけではありません。
表現をする際の目のつけどころ、
とでも言うのでしょうか。
動植物にむける目、それを土に表す際の造形と絵付けの視点、
とても他人とは思えない物が在りました。


明治天皇に献上された美しいいっちん技法の香炉。


愛らしい鳥の陶箱


翡翠色の釉をかけたレリーフ彫りの装飾。



やがて最後の展示室に展示されていたこの作品。





やはりこういった世界へ集約されてゆくのか、と納得するところがありました。

なんとも不思議な、精神に於いて既視感ある初代香山の作品。
いままでにみた展覧会は数々あれど
なんともこのようなキモチになった展覧会は初めての感覚でした。
 

 
それにしても
またしても
うつし世に鳥が顕われつづけています。
 
そういえば来年は干支もトリですね。
 
 
 
2016.06.07 Tuesday

海底の神話

 
赤坂憲雄氏『神話をもう学者から解放しないといけない。』
中村桂子氏『すべての学問において解放しないとならない時代ですよね。』



神様が3つの生物に、深い深い海の底の土をとってくるように、とおっしゃった。

最初の生物も2番目の生物もとても海の底まで息がつづかず死んでしまった。

最後に残ったひとつの生物は、
死にかけながらも海底の土をその指先で引っ掛く事が出来た。
力つきて海面に浮かび戻って来たその生物を
神様は蘇生させ、
そしてその爪の中に残っていた海底の土から
地上のあらゆる生き物をうみ出した。



2011年の震災で被災した東北の村。
その村には伝統的に伝えられている鹿踊があった。
津波によりなにもかもさらわれ、
残されたがれきの山から
村人が一番最初にしたことは、
鹿踊の衣装を助け出す事。

衣装や道具たちを探し出した村人はそれらを清め、
そうしてすぐに鹿踊を初めた。

『生きとし生けるものすべての生命に 鹿踊を捧げる』

人が地上において生きていくうえで、
何が一番大切か知ってる人たち、気づいた人たちがここに居た。



映画「水と風と生きものと」を観た。
気づきはじめた学者たちがいた。
生命誌研究者、JT生命誌研究館館長、理学博士である中村桂子氏の軌跡。

いままであまりに経済にいちばんの価値を置きすぎて
その他の価値を認めなくなってしまった。
そういった国際社会にはもう行き詰まりを感じる。

そうして、次はなにか?と思った時に、
東北にそれがあった。
鹿踊。
水車のある自分の家へ入る前に必ず水を飲むセロ弾きのゴーシュ。

38億年の間いちども途切れることなくいまの生命に続いている
この地上のすべての生命。
人もこの自然のなかの一部である。

考えて考えて考えたとき、
「生命誌」ということと同時に
「生命誌研究館」という言葉がぱっと頭に浮かんだ。
これは研究所で研究する事ではなく、
生命誌として、ホールのようなところで美しく提示して
みんなで考える事なんだ、ということがわかった、と。

語り尽くせないほど溢れてくるこの地上の命へのまっすぐな賛美。
それに向かおうとしているひとりの学者のドキュメンタリー映画。

映画「水と風と生きものと」公式サイト
http://tsumugu.brh.co.jp/



中村桂子氏のあらわす「生命誌マンダラ」は中心にゲノム(?)が描かれている。
その中心にいる図示されたものをみたとき、
なぜか『あ、ヒルコ(と同時に勾玉)だ。』と思った。

きっとみんな繋がっている。



2016.06.01 Wednesday

たった九本のリンゴの木

  
今回1年ぶりに不特定多数の方々に見て頂くタイプのイベントに参加して、
こういうイベントでは常時在店しているので、一番困るのがご飯でした。
体力気力を使うわりに、ご飯がまともに食べられない状態になるので
いつもイベントの帰りには、
乗り換え駅である横浜で、野菜の力をいただける定食屋さんに寄ってました。

この定食屋さんは去年偶然みつけたのですが、
なんと、私が時々送って頂いている京都の八百屋さんの野菜を使われていて、
あの八百屋さんの野菜なんですね!と定食屋の店長さんに話しかけると
店長さんも『良くご存知ですね〜。』とびっくりされていました。
私もびっくりです。

京都のその小さな八百屋さんは、なかなか流通にのせることができない
小さな農家さんの完全無農薬、化学肥料不使用の野菜を扱っているのですが、
配送の場合は注文を受けてから収穫されるため、非常に鮮度も高く、
とにかくほとんど全ての野菜が生で美味しく食べられる、ということを教えてくれた、
そして全ての野菜の細胞が粒だって活きているという事は
こういう事なのだと教えてくれた、
私にとって衝撃的な野菜との出会いの八百屋さんなのです。

まさか横浜で、京都のあの小さな八百屋さんで売られている野菜が食べられるなんて。
(その八百屋さんはいまでは代々木にも小さな出張店を出されるようになって、
時代に人に、やはりもとめられているのだなあと思いました。)

ともあれ、
先週末のイベントの3日間、
食に関しては『本当に力のある野菜が食べたい!』と切なる願いがピークに達して、
上記定食屋さんで、本当に力のある野菜を使ったたっぷりのサラダ
(こういう時、肉ではないんですよね)を毎度頂く事により心身の充足を得ていました。
食って大事です。

野菜の力というのはほんとうに不思議です。
身体はどういうものが必要かちゃんと知っていて、
野菜ならなんでもいい、という訳でもない。
代々の種の時代から余計な栄養や科学的な処理を施されていないもの、
また 鮮度も非常に重要で、
その限られた抜群のタイミングで収穫され鮮度の高い野菜を
身体に取り込むことが本当の力になる。

なかなか難しい事かもしれませんが、
でもできるかぎり身体の言う事を聞こうと思っています。
心身の充足がそれで得られるのだと思えばかなりシンプルなことかもしれません。



「〜高度先進国で、
なぜ日に日に新しい病気が生まれているのかを考えたことはない?
なぜそういった国では、癌の発生が最も多いのか?
なぜ、彼らに必要な治療薬の数は増すばかりなのか?
なぜ、不妊症に苦しむ人の数が増すばかりなのか?」

(中略)

「それは、あなたが学者と呼ぶ人たちの多くは、
まったくもって知性と聡明さを持ち合わせた生き物ではないから。
彼らの人間の本質は麻痺していて、外見だけ人間を装った彼らを通して、
破壊の勢力が作用している。(略)
その一見学者にみえる人たちが、
自然に存在する植物たちを変形させはじめ、
それに従って植物たちがもたらす果実を変形させた。
その果実の使命を考えることもしないまま、変えるようになった。

(中略)

自然も同じように完全な装置であって、今のところ誰一人として
すべてを知りつくしているわけではない。
この偉大な装置の一つひとつの部品はそれぞれの使命を持っていて、
森羅万象のすべてと緊密な相互関係を持っている。
そしてその特質を変えたり、ひとつの部品を取り除いたりすることは、
必ず自然界の装置全体の働きに影響を及ぼす。
自然には多くの防御機能がある。
許しがたい行為に対して、自然ははじめに警告を発する。
もしそれでもやめなければ、自然は無能な整備士を一掃せざるお得なくなる。
植物の実を人間は食べ物として取り込む。
そして、もしその人が変種、ミュータントとなった果実を食糧とするならば、
その人自身が少しずつミュータントへと変わっていく。
変異させられた果実を食べると、そのような変異を避けることができない。
そして、それはすでに起こっている。
人間の免疫システム、知性と聡明さ、そして感じる力がどんどん弱くなっている。
(略)
自身の自主独立性を失っている、その証拠に、新しい病気が生まれている。
それが人間の許しがたい行為に対する警告。」

「今日地球上に原初の実のなるリンゴの木は、たった九本しかない。
リンゴ、それは人間にとって最も有益で美味しい、神の創造物のひとつ。
でもそれが最初にミュータントに侵されたもののひとつだった。
(略)
あなたが今、果樹園や店でみることができるものは、
神の果実に一致しない物。
神の創造による原初の物を壊し、破滅させる人々のことを、
あなたは学者と名付けている。 (以下略)」

「破壊の勢力が人間社会を経済に依存させることに成功したの。
破壊の勢力は、人間に吹き込むことに成功した、
『この食品を食べなければ飢え死にしてしまう』と。
でも、そんなことはない。(略)
それどころか反対に、それを食べると人間は死んでしまう」

(ウラジーミル・メグレ著 ロシアの響きわたる杉シリーズ5「私たちは何者なのか」より)



ロシアのノンフィクション小説
「ロシアの響きわたる杉シリーズ」から目が離せない。
おそらく、
生涯木を植え続ける宮脇昭さんの行動や伝えようとしているところ、
気功の学校の先生からずっと伝えて頂いているところ、
それから10余年学んで来ている古神道のあらわしているところ、
そして毎日、大地や海から直接伝わってくるところ、
そのすべてに繋がっているように感じながら
この本を読んでいます。

数ヶ月前のニュースで、
ロシア政府が2020年までに100%の自給自足に達すると発表した。
そのために政府はすでに大企業が独占する土地や資源を返還させたという。
この本によれば、ロシアのダーチャ・ムーブメントにより、
現在ロシアの農作物の70〜80%がすでに自給自足であることを思えば
2020年の実現はかなり現実味がある。

「ダーチャ」とは、農地付きの粗末な別荘のこと。
人々は週末にダーチャへ来て完全オーガニックの農業を行う。
スペインの私の住んでいた村でも多くの人が素朴な別荘を持ち、
(別荘はお金持ちが持っている物と言う日本の感覚とは全く異なる)
同じような事が自然に行われていました。
茄子やレモン、トマト、じゃがいも、きゅうり、色々頂いた思い出があります。


先月訪れた高知のオーガニックマーケットで入手した
根付きのパクチーを入れてフォーを作りました。
スープはダシ汁に梅酢と蜂蜜を主にして味付け。今日の朝昼ごはん。





2016.04.21 Thursday

オオカミの護符

 
図書館に行ったら、入口はいってすぐの飾り台の上に
「オオカミの護符」の本がばばーんと中央に飾られていました。

何年も前にこの本のドキュメンタリー映画「オオカミの護符」を
川崎市にある公民館で見たこと、
そしてこの本を当時住んでいた町の図書館で借りて読んだときの感動を、
不意打ちのように思い出しました。


神奈川県川崎市土橋周辺の失われつつある古来からの民間伝承、
お百姓さんたちの土に近い日常を、たんたんと、
しかしとても丁寧に、大切な宝物の様に記録された映画。
本の方も、
この映画を撮った小倉美恵子さん(監督という言葉は
なんだか既成の枠にはめてしまいそうで、
この方に相応しくない感じがしてしまいます)
が書かれていて、映画の原作というよりは、
映画と本が互い響き合うようなものとなっています。

新刊というわけでもなく、かつて流行ったという訳でもない、
図書館の膨大な蔵書に埋もれてしまいそうな地味なこの本「オオカミの護符」が、
図書館に入るなり、いきなり目に飛び込んで来たので
ハッとしてしまった。

ふたたび読んでみたいと思いお借りして、さっそく読みはじめると、
もう、まえがきから、
著者の感受性の強いこころの響きがこちらにもふるふると伝わってくるようで、
最初から感動しながら読みはじめたのでした。

何年も前に同本を読んだ頃と比べて、
私自身も、日本のいろいろな響き合う古来からの土地を
訪れさせていただいているからかもしれません。
著者の心の動きがそのまま自分のことの様に伝わってくるようです。



この本の著者の小倉さんは、子供の頃に、
お百姓をしていた自分のおじいさんを恥ずかしく思っていたそう。
小学校で、新興住宅地に住む同級生が、
自分の家のことを「ボロい家、臭い家」というのをきいて、
それが自分の家だと同級生に知られないように、
わざと回り道をして家に帰っていたのだそう。
友達と一緒にいるときにおじいさんが声をかけてくると、
他人のフリをしてその場から逃げてしまったり。
自分の家がお百姓の家だということが恥ずかしくて仕方がなかった。
どこからみても百姓にしか見えないおじいさんの存在も恥ずかしいと思っていた。

でも朝早くから黙々と仕事を続けて来たおじいさん、おばあさんのことも、
ツバメやカブトムシやホタルなどがいつもやってくる茅ぶき屋根の自分の家も
ほんとうは大好きだった。
それなのに、自分が嫌われないようにと他人の目ばかりを気にしているうちに、
大切なおじいさんも、茅ぶき屋根の家も、土橋の風景も
皆消えていってしまったのでした。

「私が土橋の映画を作ろうと思ったのは、『おじいちゃん、おばあちゃん、ごめんなさい』
と、あやまりたかったからです。」


「私はこれまで仕事とは与えられるものだと思っていました。
世の中にある仕事のどれかを選ばなければならない、
就職しなければならないものだと考えてきました。
しかしお百姓の暮らしを知れば知るほど、
自分の目の前にあるものから自分で仕事を作り出してゆくことの大切さを知りました
<中略>
世の中には大切であるにもかかわらず、
まだ仕事になっていないことがたくさんあります。
自分の中に『好きで好きでたまらないこと』
『ずっと気になっている大切なこと』がある人は、
自分で『仕事』を作っていくきっかけになるかもしれません。
あるいは『自分は人と違ってちょっと恥ずかしい』と
コンプレックスに思うことがある人は、
自分でなければできないことを掘りあてる近道を手に入れているかもしれません」

(小倉美恵子 著「オオカミの護符」まえがきより)




オオカミの護符は火伏せの護符。
武蔵御嶽山で頂いたこの護符を私の陶芸の窯場に貼らせてもらっています。



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