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2019.08.24 Saturday

ミガスカフェのスコ〜ン

ギャラリーで開催するお茶会などで
主に焼き菓子などご提供させていただいているMAJO主宰のミガスカフェですが、
納得のスコーンの新作が完成しました。

スコーンは焼き菓子の中でも個人的にかなり好きな方なのですが、
これまで様々な試行を重ねており、
自分らしくてこれならミガスカフェの個性に合っている!という
スコーンがようやく焼きあがりました。



このスコーンの個性としては梅酢で膨らませているところ。
乳製品、卵不使用。梅好き、粉もんずきの私らしいスコーンです*

来年はミガスカフェも新たな展開を迎えそうな感じですので、
いつかの機会にご賞味いただけるとよいな、と思ってます。


2019.08.23 Friday

原初の水

 
 

「原初の水」
今月28日より始まる企画展『わたしの人魚姫』でご覧いただけます。


作品のタイトルテーマは企画展が終わったらそれでお仕舞いといったものではなく、
全てが連動していて、私が歩み続けているカミーノ(道/人生)の命題そのものです。
その命題に沿う企画に出会ったとき、作品を出展させて頂いています。

数年前からこのように制作スタイルが変わったことで
何かの展示に合わせて作品を制作するということがなくなりました。
すべてがカミーノ(道)なのだと悟ったとき、
ぱあっと胸の扉がひらいて呼吸がとても楽になりました。
その開放感と明るい輝きはそのまま活きる力と成って作品に反映していると思います。

この世で自分が最も自由になれることが
そのままこの世に生まれた意味となり、
その意味からお繋ぎいただき顕れたものが作品たちと成る。
作品がこの世に生まれてくる意味は明確で
私はアンテナであり、お産婆さんのようなもの。
こうした作品たちは
ここおぼえがきに何度も書いていますが、私個人に重なるものではありません。
私個人が反映しているとしたら、アンテナの性能としてです。

そんな風に悟ってから、
マザー・テレサの言葉に出会いました。

『わたしは神様の手の中の小さな鉛筆にすぎません。
神が考え、神が書くのです。』

カミーノを巡礼したときに受け取った、
この地球の子だという実感。
そしてこの大地の砂の一粒であるということの幸せ。
大いなる自然に包まれ、魂の根源の幸福に届いたとき、そう実感として思える。

地上の生き物としての幸せは一寸のぶれもなく皆同じものなのだと思いました。
そこに向かってカミーノを歩くことが人生であり、
この世界に生まれてきた意味なのだと思っています。

16年前の今頃、まさにカミーノの道中にいたのです。
あの道を歩かなかったら今の私はありませんでした。
歩いた当初はその重大さに気づいていなくても、
16年経ったいまはそうはっきりと断言できます。

サンチャゴ巡礼道(当時の記録)
http://majo.moo.jp/foto/reportaje/camino/camino.html



2019.08.19 Monday

全ての人にとって家でのものづくりは生きること

 
先日図書館で偶然借りてきた本。
私が日ごろ感じ、思っていたことが
あまりに的確に明言されているので
少し長いですがその本の序論の一部を転載させてもらいますね。

(以下転載)
----------------------------------------

生産者として、あるいは消費者としての役割分担が進んだせいで、
現在、わたしたちは必要なもののほぼすべてを専門家に
委ねるようになった
ー食品は食品産業、健康は医療の専門家、
娯楽はハリウッド映画やマスコミ、メンタルヘルスはセラピストと製薬会社、
自然保護は環境保護活動家、政治活動は政治家、といった具合だ。
じきに、
自分で自分のために何かをしているのを想像することさえ難しくなるだろう。
「生計を立てるために」することを除けば。
それ以外のことについては、自分たちにその技術はないとか
自分よりうまくできる人がいると、私たちは感じている。
こうなるともうどんなことでも、専門家か専門機関か
生産業者に頼るしかなさそうに思えてくる。
当然ながら、このような無力感は、
あらゆることを代行しようとする企業にとっては好都合だ。

(中略)

豚の肩肉を切ることは、
それが大きな哺乳類の肩の筋肉であり、
本来の目的は、わたしの腹を満たすことではなかった
ということをありありと思い起こさせる。
(中略)
野菜を育てるということは、自然の豊かさと、
太陽の光がおいしいものに変わる奇跡を思い出させてくれる。

こうした植物や動物を扱い、
一部ではあっても食べ物の生産と準備に関われば、
スーパーマーケットと「家庭料理の代行者」が見えにくくした
多くのつながりが、ふたたび見えるようになる。
それは責任を取り戻すことでもあり、
少なくとも、口先だけの意見を減らすことにつながる。

(中略)


環境の危機が人格の危機であるならば、遅かれ早かれ、
個々人のレベルで環境問題に取り組む必要がある。
ーすなわち、家で、庭で、キッチンで、心の中で。

このように考え始めると、何でもないキッチンの空間が
輝かしい光を帯びているように思えてくる。
キッチンが、まるでわたしたちが考えていたよりずっと、
重要なものになってくるのだ。


(中略)

そう、大半の人が料理をしなくてもよくなった世界であえて料理をするのは、
専門化、暮らしの完全な合理化、
そして隙あらば入り込もうとする商業的動機に対する、
異議申し立てに一票を投じることなのだ。
さらに言えば、暇を見つけて料理を楽しむことは、
わたしたちが起きている時間すべてを
消費させる機会とみなす企業に(眠っている時間も、
企業にしてみれば、睡眠導入剤を消費させる機会となる)、
決別を宣言し、依存体質から脱却することなのである。
ここでいう依存体質とは、家庭での生産活動をほかの誰かにまかせ、
余った時間を消費にあてることだ。
企業はそれを「家事から解放されて自由になる」ことだと言ってきた。

料理は、植物と動物を変えるだけではない。
それは、わたしたちをただの消費者から生産者へと変えるのである。

(中略)

自分の中で、消費者より生産者の比重を増やしていこう。
生活に必要なものを自分で作ることを習慣にしていけば、
自立心と自由が増し、どこか遠くにある企業への依存が減っていく。
必要なものを得ようとする際には、お金だけでなく自分の力を使おう。
自分が食べるものへの責任を担うようになれば、
流れはわたしたち自身と社会へ戻りはじめる。
これは、近年芽吹いてきた、地域の食経済を再建しようという動きが
第一に訴えることであり、
その動きが実を結ぶかどうかは、わたしたちが食べるものについて
より深く考え、努力するかどうかにかかっているのだ。
毎日でなくでも、毎食でなくでも、
ーしかし今よりは多く、できるときはいつでも。
料理は、現代の暮らしでは希少になった機会、
ー自分の力で働き、食を提供することで人を支え、
自分も支えらえるという稀な機会ーをもたらす。
これが「生活する」ということでなければ、何がそうなのだろう。


「人間は料理をする」上 火と水   マイケル・ポーラン著

----------------------------------------

こう考えている人はおそらく私の周りにも多く、
以前おぼえがきにも書きましたが、気づいている人はもう
「生計を立てるために」という理由でしていた事を辞め、依存性が高い生活から離れ、
自らからの手で生み出す暮らしに切り替えて行っています。

私もだいぶん前よりそう考えて
ようやく現在、具体的にその準備をしています。
お話しできる時が来たらそれについてもまたおぼえがきさせて下さい。


2019.07.31 Wednesday

撮影日和

 
京都の友禅の絵付師で、
現在は金沢文庫のアトリエでオリジナル作品の
制作をされているあっかさんとの二人展。
今年も9月14〜17日の四日間、鎌倉の昭和レトロなお屋敷を会場として開催致します。

タイトルテーマは去年に引き続きまして『言葉にならない絵付けの世界』。

先日、この二人展の宣伝フライヤー用の写真撮影を、
鎌倉のぺいすさんのご協力のもと、
ぺいすさんの縁側に射すやわからな光源をお借りして行いました。

こちらは↓DM採用にはならなかった写真ですが、
これもまた良いのです。





8月に入りましたら、またまもなく詳細お伝えさせてくださいね。

どうぞよろしくお願いいたします*



撮影の後はぺいすさん特製の
お抹茶ババロア&手摘み野イチゴ&豆乳クリームのパフェ!!
野イチゴは前日に安曇野でご自身摘んでこられたそうです*
(ぺいすさんは各地のオーガニック農園の援農されています)



お抹茶も新鮮なので、本当に美味しい。
あっかさんと一口食べて思わず
『どうやったらこんなに美味しいのができるの?!』と
ぺいすのるんちゃんにたずねてしまいました。

ぺいすさんとは去年の8月の初めが最初の出会い。
その時なぜか「運命の出会いだ」と感じたのですが
その直感は間違っていませんでした。(と何度も書きますが・・)

本当に食は総ての根本です。




あっかさんとは、私がスペインから帰国して以来の長いおつきあいですが、
ジャンルは違えどものづくりとして見据えていることや、
善し悪しのセンスのようなものがとても似ていて、
それこそ「言葉にならない」ものがぱっと伝わり
私にとってとてもありがたい存在です。

そのあっかさん、ラジオにご出演されます。

8月19日(月)13時50分〜14時オンエア。
FM Yokohama「ファンケル ヨコハマなでしこ」

私は、美しくてさばさばとしたあっかさんのお人柄、大好きなのですが、
ぜひご興味ありましたらお聴きくださいませね*

9月の鎌倉での二人展と合わせましてどうぞよろしくお願いいたします*


2019.07.19 Friday

ちいさきものたち 金彩工程

 


















ひとつのうつわ。

ひとつのせかい。


2019.06.23 Sunday

絵付けのターン

 
個展の作品たち、現在絵付けのターンに入っています。

私の場合、土に触っているときと絵付けをしているときの状態が全く異なるので
合理的な同時進行というものができません。
(ということは以前にもおぼえがきしましたが・・)

絵付けの状態は、言葉で敢えて言うならば巫女的状態とでもいうのでしょうか。
明確にビジョンが表れるので、
それを私が現在持っている技術力を駆使して顕界にあらわす。
完全にこの方法を自覚をもって採用するようになってから
約2年ほどになるのでしょうか。

顕れてくる絵は私個人とは全く関係がないもので、
なにかのお手伝いのような、
お産婆さんのような役割だなあと感じています。




先月、神戸の企画展でお世話になっておりましたギャラリーのオーナー氏が
このようなことをブログに書かれていました。

「今回、MAJOさんの作品の中に「赤子・月のわけみたま」という作品がありました。

まだ赤ちゃんの龍で、ひげも生えていません、と説明文にあったんですが
いろいろ迷ったけど、やっぱりこの子にしよう、とお迎えさせていただきました。

この作品をお迎えしたその日の夜、夢を見ました。
男の子の赤子を、「さあ、今日はこの子も連れていくか〜!」と抱き上げている夢。
赤ちゃんは満面の笑顔で、光り輝くように笑っていました。

不思議な夢でした。

明け方の夢で、目が覚めた時なんとも嬉しいような楽しいような気持ちになりました。


この世に生まれてきたかったのかも。

今、目に見えない世界が表に出たがっている。

そんなことも感じた展示でした。

既成概念の突破。

こうでなくちゃいけない、と自分で勝手に思い込んでいるものは、案外どうでもよかったりします。

今回、言葉ですら、いらなかった。

潜在意識に降りてくるイメージは、言葉を必要としません。

それが自然のあるがままの姿で、赤子の龍が、人間の赤子となって生まれたように、
説明や言葉はいらなくて、ただただ感じること。
その感じることの中にたくさんの「伝わっている」ことがあって
太古の昔のアメーバだったころから、今の姿形になるまでのち密な「システム」に心を寄せていくとき、
言葉や自分で作った思い込みのようなものは、必要ないんだ、ということも気づかせてくれるのです。

生まれては死に、死んでは生まれる命の循環。

その中に、太古の記憶も残しつつ、命が受け継がれていく。
その循環を大きくつかさどる神がいて、その神のたましいが、わけみたまとして
私たちの心に宿っている。 ・・(以下略)」

(全文はこちらhttps://ameblo.jp/tane320/entry-12464966120.htmlになります)




私が行っていることを的確にとらえて下さり
またそれを言葉にして下さっていることをありがたく思いました。


私が持つ波長に合うものが
私のアンテナにひっかかってビジョンとなって顕れるので
絵付けに顕れるものたちにも私の魂の持つ性質の傾向は
ある程度見えているかもしれません。客観的に。

そしてもうひとつ「顕れてくる絵は私個人とは全く関係がない」のですが、
宇宙規模で考えると、
同じ大自然の中の砂の一粒として、循環の中に、
私も、
訪れる何者かも
和合共存しているということは間違いありません。






MAJO個展 瀬織津姫

6月28日(金)-7月7日(日) 火曜定休

12:00-19:00 (最終日17:00)

会場 くるみギャラリー

国分寺市本町2-18-16
tel.042-312-2963
メール kurumi@pb7.so-net.ne.jp

アクセス 国分寺駅 北口より徒歩6分

お茶会 6日(土)15:00-16:00
参加費 おひとり1000円(お茶とお菓子)
お申し込みはギャラリーまたは
直接私までメールにて
majo_ceramica@yahoo.co.jp
よろしくお願いいたします。



(画像クリックで拡大します)



2019.06.06 Thursday

まさに癒しの二日間*ありがとうございました*

 
この素晴らしい空間をお越しくださった皆様と共有できましたこと、
心から嬉しく幸せに思っています!

たくさんのかたの愛情によって成り立った展示でした。
こんな幸せな展示があるのですね・・

まさに癒しの二日間でした。
こころからありがとうございました!!





















































2019.04.18 Thursday

自由奔放な疾走

 


土にのめりこんでいます。

ひらかれたロクロ、天へ地へ。















2019.03.26 Tuesday

日常のほんの小さなことを丁寧にうけとる


5月の展示のテーマ「航海の護符」にちなんで
会場で流す音楽をぺいすの音楽ミキサーKOHJUさんにお願いしました。
昨日、完成したCDを受け取らせていただいたのですが、
ぺいすさんの玄関にあるユーカリの木の葉をそっとCDに添えて
お手渡しくださって、
この丁寧で細やかな幸福感がすべてに顕れている。。。と
そのお気持ちとともに本当に嬉しく受け取らせてもらいました。



いつもぺいすさんに行くと音楽が流れていて、
けれど後で思い返すと
『なにか音楽流れてたっけ?』という超自然的な存在感。
何度か一緒にぺいすさんに行っている友人も
『ぺいすさんで音楽が流れていた印象がない。』と言います。

カフェなどでただ有線の音楽を流しっぱなしにしたり、
ずっとジャズがかかってたりというのが好きじゃない、というKOHJUさんは
『音楽があったから自分は生きてこられた』とお話し下さいました。

まるで空気のように、という表現が近いのでしょうか。
普段は当たり前すぎて気にしてないけど
無かったら死んでしまう。

そんなKOHJUさんの音楽だからこそ、
私が大切にしてきた展示テーマ「航海の護符」の展示のために
音楽CDを作っていただきたいと思ったのでした。


「航海の護符」について簡単に説明しますと
このテーマは6年程前に個展につけたタイトルで、
その時に作ったインスタレーション作品が発端になっています。
(今回その作品の写真をCDジャケットにお使い下さっています)

その後、今から3年ほど前に
同テーマ作品をスペインの美術館での個展で展示していただきました。

そして今回、神戸のギャラリーアルカさんより、
『展示の内容は自由に考えてみてもらえますか』と
ありがたくも会期を頂いたことから、
私にとっての3回目の
「航海の護符」というテーマでの展示が行われることになりました。


今回の企画展では、
私含めて3人の作家展で、
陶の殿最操さんは、
和歌山の作家さんで京都の気功の学校を通じて出会いました。
版画の鰹さんとは、
サンティアゴの巡礼道が仲介となって知り合い、
上記スペインでの個展の際に特別ゲストとして
木版画を友情出展して頂いた経緯があります。

「航海の護符」を開催するにあたって、
今回本当に楽しみなメンバーがそろった展示です。
会場で流されるKOHJUさんの音楽が織りなす物語世界につつまれて、
どうぞお楽しみください。


◆企画三人展 『航海の護符』
 5月3日(金)-28日(火) 水曜定休
 12:00-19:00

 会場 gallery ARCA
     神戸市中央区北長狭通4-7-3
     電話 090−6323−2037
 アクセス JR元町駅東出口より徒歩1分


2019.03.24 Sunday

神使-鹿島

 
完成に至るまで、もはや何度焼成を重ねたかわからないのですが、
やっと日の目を見ることができた鹿島の絵皿。
現在、点滴堂さんでご覧いただけます。



銀の焼成による表現が非常に難しくて、
イタリアでブランドもののアクセサリーの企画デザインと彫金をしている友人が、
『彫金の世界でもプラチナや金にくらべて銀は本当に難しい、同じだね。』
と言っていたので、
私が銀を表すのに納得いくまでこうやって何度も焼成を繰り返しているのも
銀とおつきあいをする上で必要な工程なのだなと理解しました。

この絵皿「神使-鹿島」は繰り返した焼成のおかげもあり
貫入が非常に繊細に美しく入って
森の木霊のような風を感じる焼き上がりとなりました。



ところでこの絵皿に顕れた銘の「鹿島」につきまして。

鹿島といえば身近なところでは
茨城県の鹿島神宮には実際お参りさせて頂いたことがあります。
古来言い伝えられている事象や公式の伝承なども非常に興味の尽きない宮です。

御祭神のタケミカヅチノミコトは武道の道場によくお祭りされているので
武道にご縁のあるかたはご存知かもしれません。

タケミカヅチノミコトは
古事記では国譲りの段に登場するのでも有名ですが、
この段で、
タケミカヅチノミコトに迫られ、
オオクニヌシノミコトが「譲った国」というのは
いったいどこにある国のことなのか。

最近、この「譲った国」について、
神職の方が書かれた大変面白い研究書を読みました。

古来、大きな都を置く際には、
陰陽師や風水師の力をかりて場所を制定します。
自然の地形でぴったり良い場所が見つからない場合は
治水をしたり道を作ったりと人が手を加えて
風水を整えることもあります。(京都の鴨川などがそうですね。)

すべてお話しすると非常に長くなってしまうので端折りますが、
その当時の用いられていた陰陽師や風水師の見解から割り出すと、
オオクニヌシノミコトが譲った国というのは
この研究書によると、
今の埼玉県の大宮市のあたりになるというのです。

古事記には東夷征伐についての表記が登場しますが、
当時の大和からみて東方にもやはり国があり、
それもかなりの大国であったのではないかともいわれています。

しかし、関東にも大和ほどの大きな国があったとしても、
学術的にはっきりとは証明されていません。
なぜなら第一に、
関東の遺跡はすべて地中深くに眠って掘り起こすことができないからです。
その原因は富士山の噴火です。

昔、藤野の陣馬山に登って東京方面を見渡した時、
とても感動しました。
どこまでも開けた広大な平野が目に飛び込んできたからです。
関東平野、まさにそれが目の前に実感としてたちあがってきました。

そしてこの平野は富士山の噴火による堆積物のたまものです。
以前は関東平野にも山があり、
谷があり、川も流れていたことでしょう。湖もあったかもしれません。
それがすべて富士山の噴火による堆積物によって埋め尽くされました。

(「竹取物語」が書かれた頃はまだ富士山は煙を噴出していたそうなので
だからこそのあの美しい富士山のラストシーンなのでしょう。
関西圏と富士山は関係がないという方もいますが、
じっさい紀伊半島からは富士山が見えるそうで、
なにより日本の古代史を学ぶ上で
大和朝廷を描く「竹取物語」の重要なラストに富士山をもってくる意味を
考えてみてもよいのでは、とも思います。)

富士山の噴火により地形が大きく変わり、
関東にあった古代国は埋もれてしまいました。
だから関東地方の古代史はわかっていないことが多い。

ちなみにうちのすぐ近くでも、
ようやく平成11年に全長約90mもの前方後円墳が2基見つかっており、
それが見つかるまでは
『湘南沿岸地域の辺りには大国は無く、
すなわちそれをまとめる王、もしくは豪族も存在しなかった』
といわれていました。
歴史とは暫定的なもので、発見がある度に今までの常識が覆されるものですね。

鹿島神宮のタケミカヅチノミコトのお話からだいぶん展開してしまいました。

奈良といえば鹿。
春日大社の、今では有名なあの鹿たちは
もともと鹿島神宮から連れてこられたものです。
当時は徒歩でしょうから、大変な旅でしたね。
茨城の鹿島から奈良の春日大社(御蓋山)までの道中にある各県の村や町にも
その鹿たちの旅にまつわる言い伝えが今も残っているそうです。



点滴堂企画
      櫻の園・第二幕

3月20日(水)-31日(日) 月・火定休
12:30-21:00

会場 点滴堂 ギャラリースペース

   東京都武蔵野市中町 1−10−3 2階 電話 090-6796-5281

アクセス 三鷹駅北口徒歩5分






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